クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

冷や水

男性が自分の年齢を初めて意識するのはアスリートたちが年下になった時らしい。ずいぶん前のアンケート結果だが、なるほど自分にも思い当たる。会社組織などでは新卒採用が少ない時期があったりで三十代でも若手と言われたりするが、アスリートならどの競技でも十分ベテランである。三十代も半ばに来れば誰しも引退を考えなくてはならない。プロ野球山本昌投手が五十代で勝ち投手になったりしたが、平均引退年齢は相変わらず二十代後半のままだ。

それに比べれば登山は息が長い。競わないという面もあるが、年輩でも凄い人がチラホラ、ではなくゴマンといる。

 

去年凄いオヤジに会った。

8月のお盆時期に私は北アルプスを縦走した。去年行ったのは、北アルプス裏銀座ルートの玄関口となる七倉から一山越えて、黒部湖の奥にある奥黒部ヒュッテから読売新道を経て水晶岳に抜けるルート。山に登らない人にはさっぱりわからないだろう。お盆の時期は山も人人になるので出来るだけ静かな所を選んだのだ。

さらっと書いたが、1日目は七倉から船窪小屋という山小屋を通過して針ノ木谷という沢を下る。小屋までの登りも急峻だ。小屋に着くと山小屋の主人が、「お茶飲んで行くか?」

人が少ない山域の長所はこういうところだ。人と人の距離が小さい。ありがたく頂戴して主人と会話する。今から針ノ木谷を下ると言うと

「さっき1人いたな。確か奥黒部に行くと言ってた」

先人がいるのは少し残念のようだが、心強くもあった。とにかく先の行程は長いのでお茶を飲むと主人に礼を行って谷の下降を始めた。

針ノ木谷のルートは沢沿いを黒部湖まで下る道だった。一応『山と高原地図』では実線、つまり一般登山道として表されている。下降を始めてすぐに川の渡渉が出てきた。川幅が狭ければ川面から頭を出した石伝いに飛んでわたることができる。一般登山道でもこれくらいならある。3回ほど飛びながら渡った。しかし、やがて飛んでは渡れない箇所がでてきた。川は基本的に下るほど水量が多く、川幅は広くなる。とりあえず、靴を脱ぎ、冷たい雪解け水に顔を顰めながら渡ったが、徐々に不安になってきた。

不安は的中した。裸足の渡渉からわずか2分後にまた靴を脱いでの渡渉。川幅は広がり、足を掬われないように歩くルートも慎重に選んだ。そして、頭の片隅に「本当に先人がいるのだろうか」という疑問が浮かんだ。

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10回あまりの裸足の渡渉、最後の渡渉では靴を脱がずに岩から足を滑らせて片足をびちょびちょにしつつ黒部湖に到達した。そこから湖沿いに際どく設置されている木道や梯子を伝って奥黒部ヒュッテに着いた。初日からヨレヨレだが、テント場は森に囲まれたいい雰囲気のところだった。北アルプスの最奥だけあって、来る人もみんなベテランという風情を醸している。隣のテントのおじさんは日本山岳耐久競争、通称ハセツネを2度完走しており、この日もトレラン用のシューズで来ていた。反対隣の女性は物静かな人かと思ったが、話し始めると「あたし、明日水晶に着けないかも。途中でビバークになるかもしれないし、水何リットル持って行こうかなー」と陽気に語った。ビバーク覚悟の段階で並ではない。テント場は全部で10人くらいしかおらず、酒を飲んで騒ぐこともなく、その日はみんな7時には就寝となった。


翌朝2時半、テント場はガサガサと出発の狂騒に包まれた。「草木も眠る丑三つ時」にふざけるなと思う人もいるかもしれないが、ここから次のテント場まで12時間以上。当然と言えば当然の判断である。私はのんびり、それでも3時に起き、朝ご飯を食べると、テントを畳んで4時に出発した。もうテント場にテントは一張りしか残ってなかった。

奥黒部から水晶岳に伸びる読売新道は赤牛岳までひたすらの登り坂となる。前日も12時間行動だったこともあって、ひたすら辛い。しかも水場がないので、水だけの重量が余計に重く、かと言ってガブガブ飲むのも後の行程を考えると怖い。

重荷に喘いでいると、そのオヤジは現れた。と言っても何の変哲もない山オヤジである。推定50代、ガッチリ体形だが、身長は160cm少々といったところか。オヤジの足取りは決して早くないが、決して止まることがなかった。一方で私の足取りはオヤジより早かったが、ひたすら登りのこのルートでは、時々息を整える必要があった。ダンゴムシのようにゆっくりだが、正確に一歩一歩足を運ぶそのオヤジは、私を抜き去るとそのまま樹林帯の中に姿を消した。そのオヤジのパンツが派手なオレンジだったのが印象に残った。

再びオヤジの姿を見たのは三俣小屋のテント場だ。その日、12時間かかって私は赤牛岳、水晶岳鷲羽岳を越えて午後4時半くらいになって三俣小屋にたどり着いた。曇っていたにも関わらず2リットルの水は全て飲み干し、前日に続いてよれよれである。テントを張り、水を汲みに行った帰りにさっそうと歩くオヤジとすれ違った。前日はテント場で全く話さなかったが、ここで話しかけてみた。

「いつ着きました?」

「3時くらいかな」

私は頂上で写真を撮ったり、水晶小屋でハセツネおじさんとビールを飲んだりしてはいたが、それでも地図のコースタイム15時間以上を12時間半で歩いたのだ。それをさらに上回る推定50代のオヤジがいたのは驚異だった。そして、針ノ木谷を私より先に下っていたのもそのオヤジであることがわかった。

「うーむ」

テントで起き上がる気力もなくごろごろしながら思った。人間の体は不思議なものだ。鍛えていれば20歳くらい年下と対等、それ以上にわたりあえる。一方でひと月も動かなければ、足腰は衰え、歩くことすらおぼつかなくなる。

年寄りの冷や水」と言うが、老いも若きも冷や水は常に浴びなくてはならない。