クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

命懸けの行動とは~映画「フリーソロ」~

 週末の愉しみは映画になってきた。

もともとそんなに映画好きというわけではなく、テレビがあった時代は「金曜ロードショー」や「日曜洋画劇場」を見るくらいで、劇場では数年に1回くらい。タダで見れるものを、スクリーンが大きいからといっていちいち金払う気がしなかった。

金の問題もあるけど、これまであまり見てこなかった理由は他にもある。映画ではやたらと「命を懸けたがる」からだ。地味なテレビドラマや日常生活を中心としたアニメも映画化すると、とたんに「大スペクタクル、命懸けの冒険」というキャッチが登場する。貴賤、老若男女問わずそんなに命を簡単に賭けられると、鼻白むところがあって、「おいおいまたかよ」と心中呟くのである。

 

そんなフィクションの命懸けではなく本物の命懸けのドキュメンタリー映画「フリーソロ」を見た。

アレックス・オノルドというクライマーのエルキャピタン登攀に密着取材したもので、日常から挑戦までの準備、挑戦までをくまなく映し出している。

フリーソロ (字幕版)

フリーソロ (字幕版)

  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: Prime Video
 

 エルキャピタンはアメリカ・カリフォルニア州のヨセミテ国立公園の中にある1000mを超す花崗岩できた一枚岩で、古くからフリークライマーの聖地とされている。

アレックス・オノルドはフリークライマーとして抜きん出た実力を持つだけでなく、フリーソロを行うクライマーとして有名な人物だ。そのオノルドがショートルートではなく、エルキャピタンの大岩壁にフリーソロで挑むのがこの映画の主旨である。

 

フリーソロとは、簡単に言えば「素登り」ということになるだろう。素潜りが水着1枚なら、素登りはシャツとショーツなどの衣類のみ。つまりロープなどのバックアップなしで岩壁に挑むことになる。

早い話が「落ちたら死ぬ」状況のクライミングだ。落ちても大丈夫な場合、飛びつきや一瞬身体を宙に浮かせる「デッド」といった技を駆使できるが、フリーソロでは格段に難易度が上がる。何も身につけてないのだから、理屈の上では簡単なはずでも、心理的に失敗即死は究極的にのしかかってくる。

 私も沢登りで、わずか数メートルの高さをフリーソロするだけで脂汗をかいたことがある。自分が落ちる瞬間が浮かんだだけでもう関節に鉛を流されたような感覚になる。

オノルドは1000mの高さまでその緊張感を持って上がるのだ。

 

 冷静に考えれば、そんな危ないことをする理由はない。しかも、オノルドはクライミング用品のメーカーのスポンサー契約を結んでおり、普段はバンで生活をするくらいなので、金銭的にも十分で、おまけに超絶美人の彼女がいて、という具合なのだ。

もう一度ゆっくり見ようと思うのだが、オノルド自身からなぜフリーソロを行うかの明確な説明はなかった気がする。ワールドトレードセンタービルで綱渡りをしたフィリップ・プティが「理由なんかない!」と力説したように、危険な行為にはいかなる理由もつけられない。人として、生命体として、死ぬことは最も本能に反する行為だからだ。

しかし、一方で安全、安心の生き方のみを選択するのに理由はあるだろうか。生きる理由を明瞭に答えられる人もそうはいない。

みんないつかは死ぬ以上は、フリーソロで生きているのに差はないのかもしれない。