山に行ってない。コロナの影響もあるが、それ以上に仕事が忙しくて、もうどうしようという感じだ。山好きはこのご時世では身体が山を欲するし、海好きは海、川好きは川、磯好きは磯が足りなくなる。
こういう時だけインドア派が羨ましい。
映画「マン・オン・ワイヤー」を見た。
フィリップ・プティというフランス人綱渡り士が完成したばかりのワールドトレードセンタービルのツインタワーにワイヤーを張って綱渡りをする話だ。映画は一部再現映像にし、当事者のインタビューをつなぎながら進める形を取っている。
”THE WALK”という映画が公開された時に、フィリップ・プティの書いた同名の本を買って読んでいた。したがって、だいたい事の流れは知っていたのだが、改めて本作を見ても訳がわからん。何がわからないかと言えば、そのモチベーションというか、ビルの間で綱渡りをする理由である。
まあ子どもの発想としてはあるだろう。でっかい塔があれば何かを間に渡したい、そしてそこを歩いてみたいと。フィリップ・プティは歯医者の待合室にあった新聞記事で世界一のタワーができることを知って、居ても立っても居られなくなり、歯痛を忘れて飛び出したらしい。
ますます訳がわからない。
この綱渡りは史上最も美しい犯罪として知られている。誰を傷つけることもなく、世界最高のパフォーマンスを披露したからだ。
ただ、綱渡りをした後はもちろん不法侵入で逮捕ということになった。プティだけでなくワイヤーを張った仲間も同じで、中にはアメリカから永久追放を食った者もいた。まあ、後にテロの標的とされたのだから当然と言えるかもしれない。
一般の人はこんな「愚かな」ことをしない。下手をすれば何もしないまま不法侵入で捕まって、テロリストとして裁判にかけられるかもしれないし、前科がついてまともな職に就けない可能性もある。文字通り「人生を棒に振る」かもしれない。では彼らを突き動かしたのは何だろうか。
作中でフィリップ・プティは語る。
「みんななぜやったのか訊くんだよ。意味なんてない!」
これには少し驚いた。ワールドトレードセンターで綱渡りをすることに意味はないというのだ。世界一のビルで世界一のパフォーマンスをするのであればわかりやすい。しかし首謀者であるプティはそうでもないらしい。
思うに私たちは何かしらの意味のある行為を目指そうとする。お金のため、健康のため、誰かのため。何かのためというのは歯触りよい言葉で、逆に理由のない行為は無価値とみなす傾向がある。行為に意味を持たせるというのは言い換えれば社会性を持つことであり、意味のない行為は社会性がないことになる。つまり、綱渡りには社会性がないことになるわけだが、私には「史上最も美しい犯罪」と呼ばれる所以は案外この社会性のなさ、社会的価値観から飛び出したことにあるうように思える。
「理由」という呪縛から抜け出た行為こそ人々は真に美しいと感じるのだ。