年末は実家への帰省かたがた法隆寺に行ってきた。
いつもは山・旅がセットになっている中で今回は車で行ってぶらぶら。のんびり観光なのである。
今までなんとも思わなかったが、当時の政治の中心地は明日香村。そこからはずいぶん離れていて歩くと1日潰れる。飛鳥寺と呼ばれる法興寺が明日香の中心地にあるのと大違いだ。
なぜこの場所に巨大な寺が建立されたのか、ぼんやり考えてみるのも時には面白い。
後の興福寺や東大寺のように都に近ければ権勢との結びつきが強くなるものの、たびたび焼き討ちや抗争が起きており、そういうごたごたを避けるということも考えられる。
一方で寺を防御拠点として織り込むためにこの地を選んだという推測もできる。古代や中世において瓦屋根で土塀に囲まれた寺院は放火に強い。都の出入口の防御や都を乗っ取られた時の反撃の拠点にすることも考えられる。
建てた当初、そんな深い考えがないとすると聖徳太子の別荘だったという可能性もある。金閣で有名な鹿苑寺も宇治の平等院も隠居用の別荘で市街からは少々離れている。
いずれにしてもやや辺鄙とも言える場所だったからこそ1400年の間残ったということは確かだ。
奈良に行くといいところは、東京国立博物館でやろうものなら行列のできる宝物が簡単に見られることだ。金堂の釈迦三尊像や玉虫厨子もあっけなく姿を現す。
法隆寺の隣には中宮寺があり、法隆寺とセットで行けば500円で拝観ができる。メインは半迦󠄀思惟像で、片足を膝の上に上げた姿の黒光りした姿をしている。境内で流される解説CDによると元は金色に彩られていたのが、年月を経て取れたり護摩などによって黒くなったようだ。
現代人のわれわれには黒い仏様の方が品があって見えてしまうが、古代の人は金色の方が良かったのだろうか。
まあ国宝とか重要文化財といった冠を抜きにしてぼんやり、じっくり堪能できる。やはり30歳を過ぎたら奈良がいい。