クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山道具とフォルムの美しさ

ここのところ雪山にも45ℓのバックパックで行っている。

冬用の寝袋とダウンジャケットやら防寒着、クランポンや山専ボトルを押し込むのは大変だが、まあまあ何とかなる。

コツは隙間を作らないこと。個別の装備を小さく、コンパクトにして、小物で隙間を埋めるようにする。バックパックのカバーなんかはコップに入れ、手袋は鍋の周りに。ギチギチのガッチガチに詰める。

不格好にならないよう、美しいフォルムになるのが理想だ。

夏はこんな具合

山の友達に「フォルム」のこだわる男がいた。

機能性もさることながら、いかにスマートにかっこよくパッキングするか。彼は冬にエアマットも含めて50ℓのバックパックにキレイに詰めている。

「好きなブランドはパタゴニア、ペツル、スノーピークラックダイヤモンド。Pの付くメーカーが好きなんです」

と言っていた。

私も影響されて美しく詰めることにこだわってみた。そうするといろいろわかる。無駄なもの、余計なものが入るとフォルムが崩れるのだ。

使うものは、タイミングや一緒に必要となるものが自ずと決まるので、定位置が定まってくる。一方で余計なものは使うタイミングがハッキリしないので、パッキングの都度場所が動き、結局どこに入れたかわからなくなる。

必要なものだけ厳選する方が合理的だし、「あ~、どこいれたかな?」と探すこともないのだ。

雪山の初期はこんな具合だった

最近思うのが「機能美」について。

持ち物も組織も文章も無駄のないものほど美しく機能的だ。マルチツールは結局中途半端の結晶になってしまう。

ところが時にわれわれは無駄を生み出すことに熱心になってまう。それが見栄だったり、暇つぶしだったり理由は様々だが、余計なものを背負って人生を進もうとしてしまうのだ。

生きるのに余計な飾りは必要ない。私は時々冬山のパッキングを思い出しながら、無駄のないフォルムの美しい生き方を考えたりしている。