クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

『坂の上の雲』と青雲の志

4月になって、真新しいスーツを着る人が都心を歩く姿をよく見る。

私もかつて関西から4月にペラペラのスーツを着て都内外れの会社にやって来た。ただし、スーツを着たのは4月の初日だけで、そこから研修所に1週間押し込められ、次の2ヶ月は作業着で過ごし、その後1年もほぼ作業着だった。

それはともかく、4月はあの時の青雲の志を思い出すのにはいい時期である。

青雲の志と言えば司馬遼太郎坂の上の雲』を思い出す。

先日読んだ野口悠紀雄『だから古典は面白い』にも取り上げられていたので、今の70代かそれ以上の人は好きなようだ。300年も鎖国していた後進国・日本が欧米各国と肩を並べるくらいに駆け上がる姿が人気を博した。

私も昔読んだが、司馬遼太郎の記述は個人の力とチームプレーのバランスが絶妙である。『竜馬がゆく』では坂本龍馬が、『坂の上の雲』では秋山兄弟が、日本を動かす軸になる存在として登場する。

ただし、1人の天才が歴史を変えるような歴史観ではない。その異能を認める有力者が必ず現れ、町のおじさんおばさんや子どもたち、場合によってはきれいなお姉さんにも応援されて成功をつかむ。

1人で全部をやり遂げても、または誰がやっても同じということになってもドラマにならない。一丸となって成功させることが感動を呼ぶのだ。

 

23歳で私はおそらく青雲の志と途方もない不安を抱えて、独り東京にやって来た。

どんな志を持っていたか忘れてしまったけど、この世の中に何か爪跡を残すのだとか考えていたのではないだろうか。いろいろな人と出会って、協力して何かの目標を達成しようとか夢想していただろう。

当時の自分が今を見たらどう言うだろうか。4月はそんなことを考えてしまう季節である。