将棋の名人戦が始まった。
今回はもちろん藤井竜王が七冠を達成するかに注目が集まっている。というか藤井竜王は番勝負で1度も負けていない。
どうやら初日はゆっくりとしたペースで進行した模様。先例のあるところではパタパタと進む最近の傾向とは違うようだ。
将棋の世界で情報化と呼ばれたのは90年代の終わりだったと思う。
それまでは注目の棋戦となると、現地で見るか終わった後に棋譜(将棋の経過を符合に書き表したもの)を持った人が新幹線で運んで情報を共有していた。したがって、注目度が低い下位の勝負となると、勝敗だけ記録されて、経過は埋もれてしまうことが多い。
逆に隣でたまたま見ていた棋士がその戦法の優秀性に気づき、本家以上に勝ってしまうなんていうこともある。その代表格は「中座飛車」と呼ばれる飛車を中段に構える戦型で、本家・中座真四段(当時)が指すのを隣で指していた野月四段(当時)がその後、その戦法で勝ちまくるということがあったらしい。
もちろん優秀性に気づいた野月四段がすごいのだが、情報格差が勝敗を左右していた例ともいえる。
90年代後半、インターネットが普及し、指された将棋は即座に情報共有されるようになってきた。ITや情報化社会という言葉が将棋の世界でも言われるようになったのだ。
新しい戦法が登場すると、棋士たちが一斉に研究し、同じ手はたちまち通用しなくなる。升田幸三が「新手一生」(新しい指し手は一生残る)という言葉を残したが、一部では「新手一勝」(新しい指し手で一勝しかできない)とも言われたそうだ。
その中で、私が印象に残っているインタビュー記事がある。
将棋記者が昼食を食べながら森内俊之八段(当時)に「これから勝ち続ける人は、どんな人でしょうか?」と尋ねた。森内八段は食事を咀嚼しながら、しばし黙考し、「自分で考える人でしょう」と答えた。
必死で考えた一手で一勝しかできないと言われ始めた時代に、この発想は逆だ。ただ、森内八段は新しい手がすぐに陳腐化するからこそ、自分で考え続ける人が勝つと言う。
さすがの言葉。蛇足ながら、森内八段はこの後、同い年の羽生善治という壁を破り、十八世名人の資格を取得した。
さて、20年以上を経て情報はさらに低廉化した。込み入った内容でなければ弁護士に聞くよりGoogle検索かBingのチャット機能の方が楽だし早い。
しかし、機械は問いに対する答えを持っていても正しい「問い」は持っていない。だからこそ自分で問う力、考える力が試されるようになっている。
今回の名人戦はどちらの考える力が勝るだろう。