暑くてやりきれない日が続いている。
『吾輩は猫である』に
こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと
というところがあるが、この当時と比べて今の暑さはどうだろう。
相方の実家は岐阜の暑い街だ。私が初めてご実家に挨拶へ伺った時は、8月の暑い盛りで、駅前は40度を超えていた。ロータリーのある立派な駅なのに、人はほとんど歩いておらず、なんだかゴーストタウンみたいだった。
日本の街の場合、変に整備されている中で人がいないのだから不気味だ。まあ、この暑さだと外を歩きたくなくなるのもわかる。
岐阜県と言えば長良川が流れ、郡上八幡あたりでは子どもの川遊びが盛んだったという。かつての子どもなら一日中水に浸かっていただろうが、今の子どもはどうしているのだろう。
長らく日本一暑い街だったのは意外にも山形だ。小学校でフェーン現象とセットで習った気がする。
実際、父親が山形の天童にいた時に訪れたら暑かった。盆地で空気が淀むような暑さなのだ。芭蕉が句を詠んだことで有名な山寺も暑くて仕方なかった。
静かさや岩にしみいる蝉の声
いやはや清涼感のある句。実際は暑いし蝉はかなり喧しかった。
体感として「あっつ」と感じたのはアメリカ西部の砂漠地帯だった気がする。
もう四半世紀以上前の記憶なので、当てにならないが、乾いた暑さというのは日本にあまりない。デスバレーと呼ばれる谷底は海面より低いところにあるので、標高はマイナスの世界で、その分気温も上がる。真面目な話が、乗って来た車が壊れたりしたら命にかかわるし、実際に命を落とした人もいるんじゃないだろうか。
"The Adventure of a Quarter"(邦題:コインの冒険)にそんなシーンがあったぞ。登場人物は最後自動販売機にコインを入れ損ねて死ぬのだ。
危険を通り越して人のいていいところじゃない気がした。
過去に行った暑いところを考えるだけで暑くなってきそう。
そんなわけで、週末は山にでも行って涼んで来ようと思っている。