クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

現代人の時間革命

週末、図書館で堀江貴文『時間革命』という本があったので、パラパラとめくってみた。

昨日取り上げた野田知佑さんとはある意味対照的な人物。ただ、九州出身であること、自分の時間を大切にすることは共通している。

私は堀江さんの合理的な考え方が嫌いではない。「人生の原資は時間だ」という考えはその通りだと思う。「報告だけの会議は集団自殺」なんて書いてあるのを見ると、「またまた過激な表現を」なんて思いつつも、無駄な時間を供出させられるのは「緩やかな死」と言えるかもしれない。

「応援してます」と声を掛けられるのが時間の無駄と感じるというのは、いささか極端と言えるけど、時間を極限まで有効活用しようという考え方は現代人の生き方として反論のしようがない。

しかしながら、「家事なんてしなくていい」というのは全肯定できない。

これは考え方なんだろうけど、私は生きるための営みは残しておいた方がいいと思う。キャンプなんかに行って楽しいのは自分で寝床を確保したり、食事を作ったりすることで、「自分の力で生きている!」と感じるのが醍醐味だ。

禅の考えでも食事の準備や掃除は重要な位置付けにある。道元禅師は宋に留学中、食事の準備を高僧が行っている姿を見て心打たれたのだという(大学時代に聞いたうろ覚え)。禅では日常の瑣事もまた大切だと説く。

時間あたり何十万円も稼ぐ人が、ハウスキーパーを雇うのに文句はないのだけど、「ちょっとくらいやったら?気分が変わるかもよ」と言いたくなる。余計なお世話だろうか。

 

夏目漱石吾輩は猫である』に

「そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。」

とある。

私も今はぼんやりと焚き火を眺める時間を作るために「こせこせ」働いているという矛盾にある状態だ。