クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

科学技術との付き合い方と生成AI

日曜は久しぶりに新宿に出た。どうも休日はどうしても都心側に足が向かなかったが、美術館の招待券をもらったので、相方と見に行ったのだ。

美術館の予約は2時半なので、しばし時間をつぶす必要があった。

モード学園の下のブックファーストに入ると、新刊本はChatGPTをはじめとした生成AI一色。さすがビジネス街の本屋という感じがした。

生成AIの出現は「第二の産業革命」、あるいはインターネットを第二として「第三の産業革命」と呼ぶ人がいる。

その「第一」にあたる産業革命後、しばらくした1938年にアメリカンコミック「スーパーマン」が登場した。スーパーマンはただの正義の味方ではない。「力は機関車より強く」というキャッチコピーがあるように、科学技術と闘うヒーローである。当時のブルーカラーから職を奪う機械をぶっ壊し、労働者の溜飲を下げていたとされる。機械が仕事を奪い、機械より多く働くことを強要される。

当時の労働者は本当に科学技術を憎んでいた。

 

それに対して生成AIはホワイトカラーから仕事を奪うとされている。

日々やっている仕事を振り返ると、荷物を運んだりという雑用以外は確かにAIでもできちゃうのではないかと思うこともある。先日、後輩がやっていた作文を生成AIで代用したら、最終校正も含めて数分で終わってしまった。

恐ろしい。

スーパーマンに対して、日本で生まれた「鉄腕アトム」は科学技術賛美だ。そのあたりは大繫栄期を経たアメリカとこれから復興しようという時代の違いかもしれない。

これから生成AIは科学技術賛美の象徴になるだろうか、それとも脅威となるだろうか。