クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

逸材は育てられない

今さらながらの話題。ついに「藤井聡太八冠」が誕生した。これまで登場した棋士では最強だろう。

そう思って昔の将棋に関するエッセイを読んでいたら、羽生善治が王将を除く六冠になった時期に「史上最強」と書かれていた。さらに、従来と異なる「新・新人類」だという。これでいくと今回は「新・新・新人類」となるのだろうか。

野球でもとんでもない逸材が出る度に「怪物」と呼ばれる。棋士河口俊彦氏が「天才は忘れたころにやって来る」と書いた通り、この世界は差し当たってお化け屋敷なのかもしれない。

将棋には子弟制度がある。棋士の養成機関である奨励会に入会する際に身元保証人としてプロ棋士が師匠となるのだ。

それでは師匠が弟子に将棋を教えるのかと言えばそういうわけではなく、弟子とは将棋を指さないという師匠すらいる。「すら」と書いたけれど、どうやら指さないのが大勢を占めるらしい。

公式戦ともなると指さざるを得ないわけだが、弟子が昇段する頃には師匠が引退するケースが多いので、直接対決がないままになるケースが多いようだ。

 

将棋界の子弟制度というのはシステム的な話のようだが、ひとえに「将棋は教えられない」という前提から来ているような気がする。

未だ必勝法のない未知の勝負を追究するのが棋士である。つまり師匠もわからないことを追究し続けているのであり、わからないことをは教えることができない。

いや、ビジネスであれ、学問であれ、未知を追究するというのが現役世代の仕事だ。そう考えると、後進の逸材を育てようなどという考え、そのものがおこがましいように思える。