谷川岳登山は滞りなく終わった。
まあ、「滞りなく」とは予定通りということで、相方が先々行く私に怒ったとか、予想外に疲れて双二峰の片側に行けなかったというのはあるにせよ、とりあえず滞りなく終わった。
毎度、谷川岳に来て慰霊塔を見て思うのは、「なぜ谷川岳で」ということだ。
そう書くと失礼かもしれない。
ただ、湿っぽく、気持ちいいクライミングにならないかもしれない谷川岳になぜ人生を賭けるのか。慰霊塔の死者の碑を見ると昭和20年代に集中している。
死者と生者との境が低い時期なのかもしれない。ただ、今も昔も死と生の垣根が下がったわけではない。
土合のトンネルを抜ける度にそう思ったりする。