クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

水のせせらぎと都市化

週末、天気が不安定なので遠出できず、近所のランニングと散歩で終わってしまった。

わが近所には水のきれいな小川なんかがあって、まずまず散歩向きである。川は人工的に固められているのは少々残念だが、水のせせらぎが聞こえると豊かな気分になれる。

福岡賢正『国が川を壊す理由』を読む。熊本県にある球磨川の上流、川辺川のダム問題を扱った取材記事で、序文を野田知佑さんが書いている。

本書の意図するところではないが、私の考察を書いてみよう。

戦後復興の中で最初は農村から都市へ食料や木材が運ばれることで都市の復興が成立していった。それが徐々に食料も木材も輸入が増えるうちに都市は農村なしで成立するようになる。こうなると都市と地方の経済格差はどんどん広がることとなった。

この時点で「均衡ある国土の発展」は無理だったのだろう。山間部の村を都市化するより人が都市に移る方がはるかに効率的だからだ。そう考えるといわゆる「限界集落」は既定路線だったのかもしれない。

国が川を壊す理由は川にダムなどの人工的な設備を作ることで、仕事を生み出し、なんとなく発展した地方を演出したかったというのが私の考察である。

彼らには彼らの正義がある以上、この問題は解決に向かわない。

 

なんだかまとまりのない話になってしまった。

とにかく今は水のせせらぎが聞こえる街に私は暮らしたい。