クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ノー・チューバー

我が家からテレビがなくなって10年になる。意味はないがめでたいことにする。

「テレビがない」と言うと原始人に会ったような顔をされることがあるが、全く不都合はない。「まあインターネットもあるしねー」と言われることもあるが、私の場合今だに家にネットは引いていないし、ガラケー時代はほぼネットを使わなかったので、それも該当しない。意味はないが威張ってみる。新聞を社会人になってから取ったことはないのでマスコミからかなり距離を置いた生活だ。自宅に帰るとラジオを付けて読書ということが多い。

ここではテレビなしの人種をノー・チューバーと呼ぼう。今のところノー・チューバーは私以外では1人だけだ。山小屋にも案外あったりするが、今や日本でノー・チューバーはどれくらいいるだろう。


テレビがなくても生存に不都合はない。ただ時に不便なことはある。

1 芸能人の名前がわからない

元々そんなに詳しくはないが、特に入れ替わりや突然流行し始める芸人はラジオではついて行けない。ピコ太郎が出てきたときも、古坂大魔王は知っていたがピコ太郎となかなか一致しなかった。まあ古坂大魔王も声は知っているが風貌は知らなかった。「小坂」か「小阪」か「古坂」なのかもさっきネットで見て調べたくらいだ。

 

2 流行語がわからない

会社の稟議書に「取られたら取り返す、倍返しで臨みたい」という文言が出てきた。ノー・チューバ―にこういった言葉を突き付けないでいただきたい。まずこの言葉がどういったシチュエーションで使用されたかわからないので、本気か冗談かわからない。そして使った本人の意気込みもどの程度かわからない。この書類を上に回して、「こんなものをよこしてふざけているのか!」と私が叱られても鳩に豆鉄砲、略して鳩豆なのだ。最近流行になっている「忖度」とかも本気か冗談かわかりにくくて困ってしまう。もうちょっとマシな言葉を流行させてほしいものだ。

 

3 有名人の顔がわからない

1にも共通するが、ラジオでは顔がわからない。「アッちゃんかわいいよねー」とか言われても、「アーちゃん」との違いは発音の違いだけである。ちなみにPerfumeが登場した頃はテレビがあったのだが、AKB全盛になってからはテレビがないので違う人だということくらいしかわからなかった。「アッちゃん」と聞いて最初に浮かんだのは幼馴染のアツシ君で、次に浮かんだのはアーちゃんだ。

わからなくなるのは人に限らない。ある時宮藤官九郎のラジオ番組で、『進撃の巨人』を紹介するというコーナーがあった。クドカンが知らないことをリスナーが教えてあげるという企画だが、コーナーを面白くするために情報は断片的なものにしている。

・巨人は3メートルから数十メートルある

3メートルなら人間山脈と言われたプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントよりはでかいが漫画にする程ではない。数十メートルとなるとウルトラマン並だ。3メートルの巨人なら踏み潰せるだろう。

・巨人の弱点は首の裏である。

3メートルの奴なら物干し竿があれば倒せそうだ。ウルトラマン並の奴はヘリかなんかで上から襲わねばならん。だいたい首の裏が弱いとか言うと、耳の裏を触られると弱い人みたいで、凶暴な巨人の威厳がない。聞けば聞くほど脳内がカオスに展開するのはノー・チューバーならではの楽しみだろう。


最近聞かなくなったが、「ユビキタス社会」という言葉が時事用語として取り上げられていた。情報をいつでも取り出すことができる社会ということらしい。なんだか落ち着かないではないか。今やGoogle先生に聞けば大概の情報が即座に手に入る。しかし、世の中の情報全て手に入ることはできるだろうか。

所詮どういう手段を使って情報を収集しても世の中の実像を埋めることはできない。私にはユビキタスとか言って欠けた部分に無理矢理合わないパズルピースを押し込んでいるように思える。欠けているなら欠けたままでいいとはできない人が多いのだろう。

私がテレビなしでいるのは欠けた世界を楽しむ人になりたいからなのだ。