クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

コロリ・コロナ伝染病談義

口を開けばコロナである。電車に乗ると時差出勤やテレワークを行うようにとのアナウンスまで聞かれるようになった。

1ヶ月くらい前だろうか。実家の母親から「マスクが爆買いされていてなくなっているらしい」とのLINEメッセージがあった。受け取った私はテレビなし、新聞なし、ネット少々の生活なので、「なんのこっちゃ」と思っているうちに本当に店頭からマスクが消えていた。巷ではアルコール消毒液なんかも高騰しているらしい。当時を知らないがオイルショックの時のトイレットペーパー騒動みたいに感じる。

そんな能天気なことを書いていたら怒られそうだ。会社では「パンデミック」なんていう物騒な言葉も聞かれ、いつの間にやら騒動になっていた。セミナーなどの人の集まる会合は軒並み中止。国内の出張も自粛。東京マラソンの一般参加も中止。東京というのはいったん騒ぎが始まると大変なのだ。

 

人類の歴史は9割方が飢饉と疫病である。これらが解消されてきたのはここ数十年に過ぎない。

最大のパンデミックと言えば中世ヨーロッパのペストだろう。ヨーロッパ史には詳しくないのだが、人口が減少するまでになったというからすごい。しかもペストは空気感染するので、瞬く間にヨーロッパ全土に広がり、当時の医療はなすすべがなかった。人々は感染を防ぐため、患者を家に閉じ込め、場合によってはそのまま焼いてしまったという。

 

日本における伝染病としては天然痘が有名だ。奈良時代に大陸から持ち込まれて大流行している。当時の最高権力者である藤原不比等の4人の息子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)の全員が天然痘にかかって死亡している。新種の病気に対しては抵抗力がないせいか流行しだすと死者が多かったようだ。

天然痘はその後も定期的流行し、伊達政宗などもこれによって片目を失明した。日本において天然痘の猛威が去るのは明治期に入ってジェンナーの種痘技術が普及したことによる。『吾輩は猫である』で「あらゆるあばたが二の腕に立ち退きを命ぜられた昨今」とあるのは種痘によって疱瘡(天然痘のこと)に罹り、顔に痕が残るようなことがなくなったことを指している。

 

幕末にコレラが江戸で大流行した際も人々は極力対人接触を怖がり、銭湯などからは人が消えたという。みんな垢が溜まっても我慢をして引きこもっていたのだろう。当時は「コロリ」と呼ばれていたらしく、なんだか名称までよく似ている。

今回のコロナウィルスが拡散するかどうかはこの1・2週間が山場と厚生労働省は発表している。本当にそんな短期間で決着するのかわからないけど、決戦の時なんだそうだ。

ではみんな外出禁止にして引きこもってしまえばいいと思うのだが、そんな指示を出して経済が悪化したとか言われると嫌だから政府も公式には発表しない。会社も消毒液を置いたり、時差出勤を勧めたりで効果のほどはわからなくても「最大限の努力はした」ということにはしたいらしい。

今と昔の伝染病に対する違いは直接的な命への危機感だろう。早い話がが自分が「死ぬかも」と感じることである。大半の人は口では「危ない危ない」と言っていても「死ぬ」とは思っていないし、ひょっとしたら「罹るかも」とも思っていないかもしれない。

防止する側の狂騒も誰かに対する「演技」のように映っているのは私だけだろうか。