クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

一富士

1月3日、実家のある関西から関東へ帰るべく東京行の東海道新幹線に乗り込んだ。晴れた日に新幹線が新富士駅の手前を通過すると、左手に富士山が姿を現わす。窓側のE席が富士見の特等席だが、自由席では早い者勝ちですぐに埋まってしまった。仕方なく反対側の窓側A席に座る。

京都を過ぎて米原あたりでは空は灰色の雲に覆われ、小雨が降り出した。それを見ていると今日はどうせ富士山は見えないかと妙に安心する自分に気が付いた。

 

私が初めて富士山を仰いだのは小学校の修学旅行のときだった。当時は富士山が円錐形の山であることは知識としてしっているだけで、実在する山として認識していなかった。おむすび型のきれいな形をしているが、どこか現実感のない山。松竹の映画の最初に出る山。富士山とは日本という国家が観念的であるのと同様に日本の象徴として抽象的な存在ではないかと思っていた。

京都駅から乗車した新幹線こだま号が1時間も走ったころには新幹線に乗るという興奮はすでになかった。退屈した子どもたちは1人500円までのお菓子に夢中になっていた。

私はずっと外を眺めていた。名古屋から静岡駅までずっと平地が長く続き、時折街が現れたり湖が現れたりした。概ね単調だったがそれでもよかった。ところが静岡駅を過ぎると景色が突然トンネルになった。「なんということだ、これでは景色が見えないではないか」と独り憤っているうちにトンネルを抜けた。

トンネルを抜けると窓いっぱいに巨大な影が見えた。影は新幹線の小さな窓では到底入りきらないようだった。「富士山だ!」という声を聞いてハッとした。これは影ではない富士山だ。今まで半ば幻想と思っていた富士山が目の前に実在としてあった。富士山は漫画のように上だけを白く染めているのではなく、初夏なのでただの蒼い影だったが、左右に下ろした裾は漫画以上に優美で迫力に満ちていた。

富士山は日本一の姿だと感じた。

 

次に富士山を拝んだのはずいぶん後になる。

大学最後にアメリカへ行き、サンフランシスコから戻ってきた時のことだ。行きはバンクーバーでトランジットしたが、帰りは直行便を取ることができた。しかしながら、直行はトータルでは早いものの1回の飛行時間は長い。日本上空に近づくころには退屈はもはや苦痛に変わっていた。1冊だけ持って行った本は山本周五郎の『おごそかな渇き』だったが、アメリカ滞在中はほとんど読んでいない。本のチョイスミスは多少長い旅行では辛い。

着陸予定時間に徐々に近づき、退屈からもう間もなく解放されると思い始めたころ、機内アナウンスが入った。

「機長の〇〇です。ただいま日本上空に差し掛かかっております。機体右手では富士山が皆様のお帰りを歓迎しております」

右の座席にいた私が窓から見下ろすと頂上から三分の一くらいを白に染めた富士山があった。火口も裾も同じようにまん丸で、なぜあんな均整の取れた造形が日本列島にできたのだろう。いくら高くてもエヴェレストの形を想像できる人はそうはいない。ところが富士山はどこから見てもその造形の妙を感じることができる。

機長の粋なアナウンスはアメリカから帰る私には改めて富士山の不思議に気づかせるものになった。

 

以降、登山をするたびにどこかで気になるのが富士山だ。富士山を見ることができればオーライ。雲取山丹沢山大菩薩嶺甲武信ヶ岳北岳。どの山でも富士山はいつも変わらぬ円錐型だった。そして富士山が見えればその山行は満足だった。満足とすることにしていた。

富士山自体には5回登った。しかし、ほとんどトレーニング目的で、他の高山から眺める富士山に比べるとなんて満足度が低いのだろう。富士山はつづら折りのひたすら単調な登りだ。そのくせ5回も登っているのは自分でも不思議だ。これは円錐形の魔力だろうか。

下の写真は5月に金峰山から撮ったもの。一緒に言った韓国人の友人が言った。

 「松竹っていう感じですね!」

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 今回、名古屋を過ぎると空はみるみる晴れて、新富士駅に近づくころには白い頂とわずかに雲をたなびかせた富士山が姿を現した。

窓の外を見向きすらしないでスマホの画面を凝視する乗客を見ると、「ほら富士山ですよ~」と呼びかけたくなった。私が反対側の窓側席から窓を覆い尽くす富士からさりげなく眺めていた。