都内の事務所に勤務してもう何年も昼食は弁当にしている。他人からは慳貪あるいは節約によるものと見られるが、これでも最初の2年くらいは外食だった。しかしそれを弁当に切り替えたのはそれなりの理由があるのだ。
会社は都内山手線外の某駅の近くで、外食には困らないくらいの店舗が存在しているはずなのだが、始終昼食には困っていた。
東京勤務の最初の頃に行った(行かされた)のはある地下にある喫茶店だった。昼は喫茶店、夜はバーになる店で、昼食はパスタ・ハンバーグ・カレーを出していた。その店によく行く理由は部署の大半が喫煙者だったからだろう。そして、ボスは煙草を吸わないのだが、週刊誌を読めるということにメリットを感じていたようだ。私にとっては煙草も週刊誌も興味がないので待ち時間が苦痛だった。
さて、料理はというと不味くはないのだが、奥で料理している気配は一切ない。おそらく業務用レトルトを温めて皿に載せるだけだと想像できる。給仕をしてくれるのはなぜか50オーバーのおばちゃんばかりだ。
コーヒーが付いて1000円。しかもメニューは毎回5種類くらいで、ミートスパゲティとカレーとハンバーグ定食はレギュラーメンバー。つまり、残るふた枠をその日の仕入れによって流動させるという乱暴なものだ。
何回も行っているといい加減怒りを覚えるようになった。
次によく行ったのは縦に長い蕎麦屋。縦に長いと表現するのは狭いビルを1階から3階までを店舗としているからで、1階に厨房があって少々の席がある。2階から3階までは座敷で、ちゃぶ台と座布団だけがある。大人数で行くと大抵狭い階段を上って2階か3階に通されることになる。そして腰の折れたおばあさんが階段を伝ってやってきて注文を取り、注文の品を届けてくれるわけだが、狭くて急な階段を往復する姿は見ているこっちが怖くなる。
蕎麦屋なのでメニューのメインはもちろん蕎麦。鴨南蛮なんかはこの店で初めて食べた。蕎麦は関西より美味い気がするが、ダシは関西人としては風味が乏しくてあまり好きではない。鴨南蛮の甘いツユも今一つだし、鴨を名乗っているが本当は鶏なんじゃないかと思える味なのだ。
しかも一食を蕎麦だけで済ませるのは気持ちもわびしいし、栄養上ももちろんよろしくない。結局この店で最もよく食べたのはカレーだった。ただし、そこのカレーが特別美味いわけではなく一番腹が膨れるというだけの話だ。
蕎麦屋は他にもあって、縦長の他に横長というか奥に広い店もあった。こちらは蕎麦弁当というのが名物で、蕎麦にご飯と若干の副菜が付くものなのだが、あっさりしているくせに量が多くて難儀なメニューだった。
天麩羅屋も行ったが、ひどくベチャベチャで天丼なら食べられるが単品では食べたくない代物だ。おまけに老夫婦で経営しているせいか時間がかかる。私は食べるのが人一倍遅いので昼休み中に食い終わるかが気がかりな食べ物であった。
揚げ物ではトンカツ屋もよく行った。周囲をビルや民家に囲まれた中の平屋の民家を改造した隠れ家的な店で、手前にカウンターとテーブル席、奥に座敷という構成になっていた。ここは「イチローの父親が好きな店」と大先輩から聞いた。イチローがよく通うならすごいが、その父親(大先輩はイチローの父だから「チチロー」と呼んでいた)が来てもすごいこともなんともない。「そもそもイチローって愛知出身じゃなかったか?なんで都内のこんな店に通うんだ?」と疑問符たっぷりの店なのである。この大先輩の話がウソの可能性も大いにある。
味は美味いことは美味い。定食で800円か900円くらいだったかな。ただ、いくら美味くても毎日トンカツは食べられない。
昼食は困ったら中華の原則があると思う。野球のキャッチャーが困ったらアウト・ローを要求するように、価格も味もまあ痛い目には合わない。さすが4000年の英知は食に詰まっている。
世のサラリーマンたちも困ったら中華屋に行く。私がよく行ったのは通称「ゴールデン・ゲート」という中華料理店。汚いビルの1階から3階までを使っており、広いことと煙草が吸えることメリット(私にとってはデメリット)であった。
初めて行ったときに先輩社員に訊くと「茄子そば」が名物だという。名物だと言われたからには仕方ないので注文したら、文字通り焼き茄子のようなものの載った中華そばがやって来た。食べると普通の中華そばに特に味のしない茄子がいるだけで、なぜこれを組み合わせたのかさっぱりわからない。
茄子そばは意味不明だったが、ここの餃子やチャーハンは美味い。ただ週1回通うというほどではないし、量が多くてデスクワークでは過剰摂取になりそうだった。
その他にもハンバーグやらカットステーキの店やらいろいろ行ったが、コッテリの肉料理が多い。「大戸屋」のような焼き魚を食べられる店はすごい混雑なので、結局は個人経営のそれほど混んでいない店に行って蕎麦や中華や揚げ物で食傷気味になる。
かくして2年弱ほどは外食に付き合ったものの、耐え切れず途中からはスーパーの弁当を買い、出来合い弁当にも飽きたので自分で作ることにした。安いし不味くても自分の責任。高くて不味い料理を食べるよりよほどいい。何より自分でメニューを決められる。
サラリーマン的社会性はどんどんなくなったが、料理の技術と血液検査の結果はこれによって格段に向上したのだった。