クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

公園アスリート

休みの日に公園を探しに出かけた。

いい大人が公園で遊ぼうなど、ちょっと頭がおかしいと思われるだろう。

ほっといてください。

懸垂ができる公園がないかと走り回ったものの、最近の公園は遊具が少ない。わりと広い公園が近所にあったので、行ってみたらワイヤーロープウェーしかなかった。こんなもん2回か3回やったら飽きるだろうな。

もう1つ見つけたが、何もない広場に「ボール遊び禁止」と書いてある。ボール遊びを禁じたら鬼ごっこくらいしかできない。

とぼとぼと駅の方に向かって歩くと、屋内のフットサル場やフィットネスジムが見えた。

 

2年前、唐突に映画「ロッキー」を見た。沢木耕太郎『一瞬の夏』に映画「ロッキー」とモハメド・アリとの関連性について書かれており、興味が沸いたからだ。

「ロッキー」に登場する無敵のチャンピオン・アポロは楽なタイトルマッチを盛り上げるために「チャンピオン・アポロが無名の若者にチャンスを与える」と銘打ち、実績のないボクサーを挑戦者に指名する。そして指名されるのが主演・監督のシルベスタ・スタローン演じるロッキーなのだが、これには実在のモデルがおり、相対するチャンピオンこそがアリだった。

映画の筋としてはシンプルそのもので、冴えないヘビー級ボクサーのロッキーがこの千載一遇のチャンスに奮起し、絶対優位と見られるチャンピオンに挑むわけだ。その途中に喧嘩あり、ロマンスがありがいかにもアメリカ映画らしい。

ただ、この映画の最も印象的なシーンはロマンスでも、字幕なしでは何を言っているかわかりにくいロッキーの言葉ではなく、挑戦者となって街中でトレーニングに励むロッキーの影ではないだろうか。

「パパーパー、パパーパー」とテーマ曲が流れ、朝日をバックにロッキーが街中を走り回る。やっているトレーニングは格好良いものではない。

しかし、ウェイトトレーニングなどのトレーニング器具を使用するものはない。それがいかにも徒手空拳、何も手にしていない若者が何者かになるために挑む姿は大変美しい。

 

「ジムに行かないと」

と言って、29歳の後輩が黒い手提げ袋を持って席を立った。

彼はジムでしか走らないという埼玉出身のシティボーイである。私は走るなら動いていないと体力の浪費みたいで嫌なのだが、彼はむやみやたらに街中を走る方が嫌らしい。

「俺がジムに行き出した頃、そんな奴はあまりいなかった。『ネズミみたいに動かない機械に乗って』って言われたけどさ。今はどこのジムもいっぱいでしょ!」

テリー伊藤が確かラジオでそんなことを言っていた。

そう、私がジムに複雑な思いを抱くのは「なんかネズミみたい」と思えるランニングマシンや機械に挟まれたコッペパンのような姿はとても鍛えているように見えないからだ。

野茂英雄アメリカ挑戦の際は「マシンによるトレーニングは怪我の原因になる」という評論家が多かった。野茂自身、NPB時代に「投手は投げ込み、走り込みが基本」と主張する鈴木監督(当時の近鉄監督)と言い争ったらしい。

しかし、つい先日引退を表明したイチロー選手が20年くらい前に「初動負荷理論」でマシンを使用しているというあたりから「マシンも適正に使えばよい」となった気がする。

清原和博が「肉体改造」と言って筋力増強した後、怪我に泣かされた時は「やはりマシンで鍛えた体は弱い」となり、金本知憲が40歳で4番を張った時は100kgを超えるバーベルを上げる姿がしばしばシーズンオフに見られた。

報道や評論は勝手なものだ。

 

 あらゆるアスリートが器具やマシンを使って最先端のトレーニングをする中で、格闘技の選手というのは案外原始的なトレーニングをする。

 格闘技イベント「PRIDE」で頂点を極めたエメリア・エンコ・ヒョードルは鉄槌でタイヤを叩いていた。

ボクシングの井上尚弥は車を引っ張ったり腕だけで綱を登ったりしていた。同じくボクシングの亀田兄弟はピンポン球を避ける練習をしていた。

柔道やレスリングの選手も綱登りなどの自重を使ったトレーニングが多いという。

格闘技は人と人のぶつかり合いである。人を殴る、持ち上げる練習はマシンではない方がよいのかもしれない。


ロッキーは冷凍牛肉の塊を殴っていた。私は冬に凍った山に行く。

人を含めた自然に相対するには公園あたりで自然なトレーニングをするくらいがちょうどいのかもしれない。