クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

家を建てる

帰り道に前を通る不動産屋の表に建売住宅の宣伝が目立つようになった。来年の消費税増税前の駆け込みを狙っているのだろう。元値が云千万だから2%の違いでも何十万かになる。

宣伝文句は「駅から徒歩〇分」とか「3階建て」とかいろいろあるが、金額はどれも総額ではなく「月々〇万円」となっていた。大きな昇給をそれほど期待できない若年層向けには総額を見せて嫌気を差されてしまうことを懸念したのかもしれない。ただ、2%の違いでそんなに慌てて買う人がどのくらいいるのだろうか。

自らを振り返ると一戸建てがどうしてもほしいと思ったことはない。「立って半畳、寝て一畳」がモットー。テントなんかは幅100m、奥行200mで十分だ。定住するということにもあまりこだわりはない。

 

家といえば周防正行監督の映画「Shall we ダンス?」を思い出す。

役所広司演じるサラリーマンがある日、窓から遠くを眺めるダンス教室の講師に一目惚れし、社交ダンスを始める。そこには仕事と家庭に満足しているはずのサラリーマンたちが群れていた。

印象的だったのは最後の場面で役所広司とヒロイン役の草刈民代に語る言葉。

「家を建てて何かが変わった」*1

これを聞いた当時、家を建てるなんて彼方の話を聞いているようだったが、「家を建てると人生が終わる」という漠然とした不安に襲われた。当時子どもだった私は「そうか、世のサラリーマンたちは家を建てることを至上の目標としているのか。そしてそれを達すると人生の目標はもうないの」かと感じた。

役所広司が郊外の自宅から自転車で駅まで走る姿には何となく哀愁を感じる。郊外に「家」を買ったため、駅までは遠いし、ローンを支払うためには自転車で節約に励まなくてはいけないのかと(まあ私は自転車に乗ること自体は好きだけどさ)。

 

高校時代の同級生の中には、就職、結婚、出産、一戸建てという黄金ルートを着実に歩んでいる男もいて、一体自分とは何が違うのかと感じたりする。彼の妻は自分の結婚、出産、家を建てる将来設計を学生の時から立てていて、その通り実現していった(彼に強制した)。ただその設計に乗った彼も家に帰ると子どもたちが騒ぐ中でソファーでのんびりしているのが至福の時だと言っている。

ただ、私にとって家には「Shall we ダンス?」の印象が強い。同級生や会社の後輩までが「家を建てる」と聞くと、それは慶賀すべき事柄なのに、「彼もそういうところまで来たのか」と人生の終盤が訪れたように心配になってしまう。

 

先日、ロイヤルホストで山の友人と雑談。

彼女の父は大工なのだが、もう70近くなり仕事を引退して夫婦で田舎に引っ越すらしい。これだけ聞くといわゆる隠居なのだが、個人事業なので退職金があるわけではない。そこで、父親は中古の家を探してそこを自分でリフォームして住もうと考えた。彼は普通の建築業者ではなく、注文住宅やリフォームはお手の物。柱さえ立っていればどんな家でも造作できる。

それを聞いた私は素直に「いいなぁ」と言った。家を買うケースは数多くあるだろうが、これから住む家を自分で作ることができる人などなかなかいない。

母親は当初住み慣れた都会を離れるのが億劫だったらしいが、家を買って自分の好きなように作れると聞いて徐々に態度を変えていった。今は「これはお父さんの仕事の集大成やからね!」と言ってはっぱをかけているらしい。

 

 「家を買う」のでなく本当に「家を建てる」というだけで全くポジティブな印象に変わる。「家を買う」と家という資産とともにローンという負債を背負うということもある。結局、貸借対照表的に言うと何もないところに資産と負債が両建てしたことになっただけだ。

Robert B Parkerの"Early Autumn"(邦題:初秋)では、主人公の私立探偵スペンサーが両親に捨てられた少年と家を建てようとする。夫婦喧嘩に利用されるだけ利用され、愛情を受けずに育った少年は日がなテレビを眺めるばかりで外界への興味を失っていた。その少年をスペンサーは両親の手から引き離し、彼独自の教育を始める。それは筋肉トレーニングなどの肉体の鍛錬と家を建てることだった。

日中、大工仕事を行い、料理の得意なスペンサーが夕食を作り、外を眺めながら2人でビールを飲む(少年は14歳だけど)。文字通りの「建設的」な人生を少年はスペンサーによって知るようになる。

 

家を建ててローンにヒーヒー言うより、身体を使って家を建てるというのは父親あるいは母親の威厳、そして家族の絆を強めるのに良いかもしれない。

仕事をして金銭を稼ぐのも悪くはないが、ローンを返済するためにする仕事は使役的であまり魅力がない。家を建てるのは自由意志によるものだが、ローンを返済することになるのはあくまで義務的でなかなかポジティブに解釈できなくなる。

その点、自分の手で作ることができれば、家も自分の自由の象徴になるだろう。

 

「最近仕事の調子はどう?」

「今仕事を休んで子どもと家を建ててるんだ」なんていいではないか。

*1:うろ覚えです