クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

カナディアンロッキー紀行⑨ーいろんな顔

カナダディアンロッキー紀行の最後はすんなりと終了とはいかなかった。

バンフからカルガリーに戻り、レストランでアルバータ牛を食べ、ホテルで映画を見てめでたしめでたしと考えていたら、日本に帰ることができなかった。原因は台風である。台風19号は東海から関東地方をとぐろを巻きながら通過し、大きな傷痕を残したわけだが、国外にいる私にも被害を与えるとは思いもしなかった。

私の帰国予定の日には台風は去っている見込み。にもかかわらず、Air Canadaは欠航の通知を出し、私はめでたく異国の地で独りぼっちになってしまった。電話で変更の依頼をしたらなんとフライトは3日後である。「ふざけるな!」と言いたいところだが、文句を言うと帰国すら叶わなくなるように思て、"OK,OK!"と言ってしまった。

情けない。帰国したら英語の勉強をもっと頑張ろうと決意する。

 

そんなわけで、心ならずも3日間の滞在延長である。

ただぼんやりするのもなんなので、UBC人類学博物館(UBC Museum of Antholopology)に行ってみた。この博物館はバンクーバー郊外のブリティッシュコロンビア大学のキャンパス内にあり、アボリジニのトーテムポールや各国の陶器、民芸品が展示されている。

 面白いのは民芸品、特にお面だ。昔からなぜか祖父母の家には妙なお面が飾られていた。玄関先には般若の面があり、来客者を真っ先に怖がらせ、奥のリビングには赤く縁取りされ、ぎょろりとした目玉のお面と真っ黒で表情のないお面があり、幼少期の私などは肩車をされてその怖いお面に近づくたびに悲鳴を上げていた。

今はいい大人になり、そんなお面なんか怖くないぞと見学を始める。最初は解説も読んでいたが、いい加減面倒になり、面白そうなお面をピックアップして眺めるようになった。

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そして、祖父母の家にあったお面にも再会。バリ島のものであることがわかった。なぜそんなものがあったのかは不明だが、亡くなった祖父は定年後旅行によく出かけていたらしいので、その時に買ったのかもしれない。今度祖母に訊いてみよう。

今見てもやっぱり怖い。

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解説は適当に読んだり読まなかったりしていた。ただ日本となると気になる。鎧兜と他の国のと同じくお面、能面となぜかナマハゲがいた。ちょっとこれらを同列にするのはいかがなものだろう。

解説に何か書いてあるかと思い、読んでみた。以下、私の訳。


「12世紀から19世紀の間、武家政権が日本の政治、経済、社会を支配していた。武士や侍として知られる彼らは弓や剣道、馬術の達人であった。侍の鎧は戦争の変化によって進化したものだ。短い刀と長い刀(大小)は両方を身につけ、戦闘で使用した。

 

禅宗は中国からもたらされたもので、侍たちに精神的な強さを与えた。また、禅宗は茶道ももたらした。茶道は厳格な決まりによって形作られたもので、使われる器具の仕様も含めて、高度に美的な作法である。茶道は侍たちに戦い前の気持ちの高まりや戦い後の安堵を与えた。

 

平和な江戸時代(1603-1868)、侍たちは絵画や版画、作詩などの他の道の追求に時間を費やした。彼らは能で知られる舞台劇の1つを楽しんだ。能の主題が侍の歴史を反映しているからである。

 

侍人形は5月5日の少年の日に飾られる。その日に家族は息子の健康と将来の成功を祈るのだ。」


ちょっと訳し方が拙い部分もあるがおおよそこんな感じだった。

日本史を学んだ者としては、間違いではないけど、少し疑問符を挟みたくなる部分がある。サムライと禅を結びつけるのは誤りではないが、実際のサムライはそんなに格好良いものではない気がする。詳しい説明は避けるが、サムライは時代が進むにつれて年貢のみの俸給が仇になり、困窮し始めるのだ。サムライは副業のできないサラリーマンなので、「武士は喰わねど高楊枝」と我慢を続けるうちにペリー来航を迎える。能や茶道を嗜んでいる場合ではなかったわけだ。

まあ他国の説明も同様のちょっとした誤解くらいはあるだろう。そしてその少しの誤解が世界的な誤解につながるに違いない。


私が見学した後で、中国系のカップルが”Ninja!Ninja!”と言っていた。忍者と侍は違うっちゅうねん。

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3日の異文化学習の後、私は北米大陸の東側にいた。バンクーバーから成田直行なら西に8時間か9時間で着くところを4時間以上東のモントリオールに飛ばされ、深夜の空港で12時間待たされ、ようやく日本に向けて飛び立つことができた。

フランス語圏のモントリオールからの便のキャビンアテンダントはフランス語訛りの英語で話すので訳がわからず、汗をかきかきの帰国。さらに余計に3日休んだので、時差ボケを直す間もなく翌日から出社、残業。旅行の後始末は金額ではなく時間に対して高くつく。


異文化体験の結果、仕事に追われ最後に変な顔になったのは私自身であった。