クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

憧れる人を見つけるということ

会社の後輩が4月で退職した。

いわゆる円満退職というやつで、きっちりと最後まで仕事をし、転職先も決めての退職だった。キャリアアップのための転職ということらしい。

キャリアアップのための転職というのは憧れる。なんだか、どこででも生きてゆけそうという感じがするのだ。

「どこででも生きてゆける」というのに対して昔から大いなる憧れがある。

生き方として憧れるのはクライマーの山野井泰史さんだ。

20歳の時に『垂直の記憶』という著書を読んで、クライマーとしての偉業以上にその自由な生き方に憧れた。高校卒業と同時にアメリカ・ヨセミテでクライミング生活を送り、そこから北極圏のバフィン島や南米パタゴニアでの登攀。ヒマラヤ遠征でパートナーとなる妙子さんと出会って結婚。普段は古い借家で家庭菜園とクライミングをして暮らし、金を貯めては好きな山に遠征する。

決して老後に十分な貯金があるわけでもなく、過去の名声だけで儲けているわけでもなく、今やりたいことを今やって暮らす。

まさに理想的な生き方だ。

先日も書いた野田知佑さんも憧れる生き方をした人だ。

大学を卒業した後、新聞勧誘などで金を貯め、海外を放浪。帰国してから旅行雑誌の編集者となる。その後、『日本の川を旅する』でライターとしてデビューし、多くを遊びの時間に充てながら原稿を書き続けた。

何より憧れるのは、多くの後進を残したことだろう。若者に自由な生き方の見本を見せ、励まし、共に遊んだ。ベタベタしない、さっぱりとした人間関係というのに憧れる。

こう考えると、どうも私が憧れる人というのはいわゆる芸能人やプロスポーツ選手のような社会の枠組みの中にいる人ではない。みんなフリーランスである。

それでいて自分が普通の会社勤め人をやっているのが不思議ではある。よく相方からは「なんで真面目な『日本のサラリーマン』なんてやっているの?」と訊かれることがあるが、こっちが訊きたいくらいだ。

 

いますぐ私がこういう憧れの人と同じような生き方に切り替えるのは難しいだろう。

ただ、憧れる生き方をする人がどこかにいるというだけで、少しだけ世界が豊かになっている気がする。