祝日に相方が1人で登山に行ってきた。
頂上には10時に着いたのに、家に帰ったのが夕方5時だという。下山ルートを間違ったのだとか。
それに対して「危ないじゃないか!」と私が怒ったとかいうわけではなく「ふーん」と答えるばかりである。そういうことは私もよくやる。
ここのところ世間、もっと狭めて会社なんかでも「健康経営」が喧伝されている。
その中身は何かと言えば「メタボ撲滅」と「禁煙」となっていて、これさえやっていれば健康になれるかは疑問だが、とにかく煙草をやめて痩せよという。
登山はこの両者からは相反する立ち位置にある。体重は少ない方が有利だし、呼吸器は強い方が良い。登りたければ健康経営推奨の路線に乗ればいいのである。
ところが本気で登山をやってしまうとそうもいかない。
なにしろ登山でメタボを防止し、呼吸器を維持するのはそうしておけば楽だという面とそうしなきゃ死んでしまう面がある。健康経営の主眼は健康寿命を伸ばすことにあるのだから、その前に山で窮地に追い込まれてはいけないのである。
登山というのは基本的に反社会的行為だ。
別に犯罪というわけでなくても、生産的行為でもないのに、命を曝すのは社会のためにならない。私なんかは今年、1月に指を軽く凍傷にし、8月には沢で溺れ、先日は谷川岳の下山中に尻を打って大いに痛かった。
今のところ胆嚢にポリープがある以外は健康ではあるが、会社や社会が望む健康な行為とは程遠い。
しかし、健康と登山が最も相反するのか、それは山好き、川好き、海好きは天気の良い週末に仕事なんかをしていると、精神がより不健康になることだろう。
そういう意味では今年の初めは忙しくてなかなか山に行けず、ようやく行ったら溺れて死ぬかと思う目に遭っている。
健康のために登山をやっているわけではないし、健康のために登山をやってはいけない。