最近忙しくて洋書を読んでいない。
オーディオ台の中でインテリアと化していて、去年バンクーバーで買ったJon Krakauer"Into thin air"(邦題『空へ』)もモントリオール空港の乗り換え待ちで読んで以来止まっている。
このままではエヴェレストを目指した登山隊はベースキャンプにも着けない。
洋書をスラスラ読みたいが、まずは英語力である。私の周囲には語学堪能な人が多い。
まず父親は外資系企業にいたので日英は使える。60を超えても毎日NHKの『ビジネス英会話』をやっているから大したものだ。
山で出会った韓国人の友達は韓日英を使いこなす。彼がすごいのは全部がネイティブ並み、というか初めて会った時は完全に日本人と思っていた。
今年会ったアメリカ人は英日中韓を話せる。これまたどうなっとるのかわからない。十代から東アジアに住んでいたとはいえ、中国語と日本語は文法が全く違うし、ハングルなんてどうやって覚えていいのかわからない。
我が弟は日英仏を話す。さらに趣味でドイツ語とイタリア語もやっていて、程度の差はあれど5ヶ国語。どういう頭の構造をしているのか不思議だ。彼曰く「ラテン語系は文法が近いから簡単」なんだそうだが、本当かな。アメリカ人なんてほとんど他言語を話せないぞ。
どうやったら語学堪能になるのだろう。
語学について常に議論になるのは英語の早期教育である。
今は見る影もないが、私も7歳の時にアメリカに行ったので、まあまあ早期教育を受けたわけだ。
私個人を実例とすると、早期教育の長所は発音と耳の良さにつながる。口は突然新しい言語に対応しにくいし、言語にはそれぞれのリズムがある。音感が悪い私は早い段階で英語に触れていてよかった。
発声と対になるのはヒアリング。崩した言い方に慣れが必要で、早期教育は耳慣れの効果がある。
慣れるには早いに越したことはない。
では英語と日本語を両方一度にやればいいかとなると、これには諸手を挙げて賛成はしない。
先に挙げた4人は、みんな自国語を定着させてから次の言語を学んでいる。
我が弟は、中学から英語、大学からフランス語とドイツ語、大学院でイタリア語という具合で、早期教育はやっていない。勉強も辞書を引いての独学で、あとはNHKの講座を聞くくらい。特別な教育は受けていない。
そして大学入試は小論文で合格しているので、本当に得意なのは日本語だったりする。本人も「外国語は趣味」と言っているので、基本の思考は日本でやっているようだ。
どうも早期教育は「子どもの無限の才能」を信じる大人のエゴのような気がしてならない。「鉄は熱いうちに打て」、「英語は早いうちに話せ」で早くやれば必ず身に着くと思っている。
その考えはわからなくはないが、思考が固まらないうちに2言語をやるにはそれなりのリスクを覚悟した方がいいと思う。
私は「南瓜」と「かぼちゃ」と'pumpkin'が小学校高学年くらいまでごちゃごちゃだった。南瓜は外が黒く、'pumpkin'はジャコランタンを作るようなオレンジのデカいものだと思っていた。かぼちゃと'pumpkin'は同じという認識はあったので、南瓜とかぼちゃも違うものと思い込んでいた。
これくらいならまだ笑って済ませられるのだが、両方とも中途半端になると、思考そのものに弊害が出そうだ。
まあ偉そうに言いつつ私の英語力なんて今やへっぽこである。早期教育も効かなかったようだ。
それでも英語力を少しでも付けて今は早いところベースキャンプというかエヴェレストに着けるように読み進めたい。