クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

映画のリアリティと「6才のボクが、大人になるまで。」

またまた週末は映画を見た。邦題「6才のボクが、大人になるまで。」。

 この映画の売りは同じ俳優が12年間かけて演じていることで、6才の少年が次第に成長し、自立していくさまが描かれている。

6才のボクが、大人になるまで。(字幕版)

6才のボクが、大人になるまで。(字幕版)

  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: Prime Video
 

 

舞台はアメリカ南部、テキサスのあたり。主人公の少年の母親は大学に勤める2人の子を持つシングルマザーという設定だ。父親とは未婚のまま別れてしまうのだが、父親は週に1度の子どもたちに会いに来ており、子どもたちもそれを楽しみにしている。

しかし、母親は大学でのキャリアアップに情熱を傾けており、子どもたちは母親の都合で度々引っ越しを余儀なくされる。前半は母親の仕事、結婚、再婚相手の暴力、離婚、さらに教え子との再婚に子どもたちは振り回される。後半は少年自身が思春期に差し掛かり、自分の意思で動く中で思い悩む姿が中心となる。

日本の感覚では、未婚で出産して子どもを連れて結婚し、離婚してからまた再婚という目まぐるしい人生を送るなどなかなかない。アメリカでもレアではないか。それでもストーリーにリアリティを与えているのは演者が時間を経ても同じということだ。年を取るという時間の不可逆性がフィクションである映画に有無を言わせない真実味を持たせている。

6才の時に演じたシーンも映画が完成するときには遥か過去であり、シナリオがうまくいかないから、撮り直しということはできない。作品を後から校正することを不可能であることで、映画そのものがリアルなドキュメンタリーとなっている。

 

先日見た「エベレスト」は1996年にあった事実に基づくノンフィクションであり、翌週見た「南極料理人」は1997年の観測隊の話だった。かなり脚色の入った「南極料理人」はともかく、「エベレスト」は冒頭から真実に基づいたという断り書きがあった。1996年のエベレスト大量遭難がテーマで、最後は次々と登山者が倒れ、エンディングを迎える。

「真実の印章」のある映画はそれだけである種の迫力を持つ。その一方で、少しの綻びがあるだけで「所詮は再現映像」という烙印が押されてしまう。

「エベレスト」はなかなか迫力があった。装備も本格的だし、ブリザードや雲の動きも真に迫っている。俳優の演技も見事だ。しかし、直近指が凍傷になった人間から言わせれば、手袋をむやみに脱ぐのはご法度だ。マイナス40度の中、静止状態で素手になったりしたら1分で指は感覚を失い、数分で凍傷、そして切断を余儀なくされる。そんな粗探ししてどうなるとも言われそうだが、「真実の印章」を掲げている以上はわずかな違和感だけでかえってリアリティを失ってしまう。


さて、それに比べると、この映画はフィクションであるものの、俳優が年を取るという要素のみでノンフィクションにないリアリティを獲得していると言えるだろう。年を取るという「真実」だけで映画そのものが真実味を獲得している。

正直な話、撮影は12年にも渡っているだけにストーリーの一貫性はないし、訴えたいコンセプトも私にはよくわからなかった。

ただ、その脈絡のなさそのものが人生における「リアル」なのかもしれない。