最近、巣ごもり映画が多くなっている。
なんのことはない。せっかくの休日に遠出できないのでDVDを借りて映画を見ている。
英語のリスニングにもなるので、洋画で過去の話題作を選ぶことが多い。
・ジュディ
・スティング
・ミリオンダラーベイビー
・ジーサンズ(原題"Going in Style")
などなど。
最近はモーガン・フリーマン出演の映画がなぜか多い(5つ中3つ)。
内容はともかく気になるのが、英語の罵り言葉。
"Son of the bitch"
"Fuck you"
日本語にすれば「クソ野郎」とか「くたばれ」となるのだろう。
「ショーシャンクの空に」では乱暴な刑務官が何度も使っている。脅しているのだからそんな複雑な言葉はいらないのだろうけど、毎度毎度同じ言葉を使っているのは能がないようにも思える。
この物語の主人公は20年にわたって服役していて、刑務官も20年間変わらず生真面目に勤務している。20年も「クソ野郎!」ばかり言っていると頭悪いんではないか、人を叩きすぎて言葉を忘れてしまったのかと見ていて心配になってくる。
英語圏では悪い言葉に対する感覚が敏感だ。
映画でも子どもが悪い言葉を使うと、すかさず親が「どこでそんな言葉を覚えたんだ」と諭す。
私が小学生の頃、英語で「『ふぁっくゆー』って言って中指を立てると殺されるんやでー」などとまことしやかに語られた。子ども心にこの言葉は災禍を招くマジカルワードだと映ったとともに、英語圏では言葉に対して過剰に反応するということはよくわかった。
マジカルワードはすごいけど、一方でバリエーションは驚くほど少ない。どんなに金があろうとも、貧しくても、育ちが良くても、悪くても使うのはせいぜい「クソ野郎!」だし「くたばれ!」なのである。
日本語に「アホ、ボケ、カス、バカ、オタンチン、コケ」他、いろいろあるのと大違い。使ってはいけない言葉なだけに発達しなかったのだろうか。
まったく根拠はないのだが、日本の罵り言葉は村文化に根差しているような気がする。
同じ村内に暮らす者がアホ、バカと罵り合うくらいは日常茶飯事でなくてはならない。「アホ」というたびに刃傷沙汰が起きていては村の秩序は守れないのだ。言葉を交わすうちはまだいい。日本の村社会でもっとも残虐な仕打ちは「無視」である。
それに対して英語圏、ことアメリカなどは移民の国。言葉で、体で争う。罵り言葉は警告であるから、むやみに使ってはならないようになったのではないか。
罵り言葉と文化を調べたら面白い結果が出るかもしれない。
吉本新喜劇では「おのれらなめとったらイてまうぞ。鼻の穴から指入れて奥歯ガタガタ言わせたろか」と言っていても最後は仲良く終わっている。
「喧嘩するほど仲がいい」のは日本特有の文化なのかもしれない。