クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

「探偵!ナイトスクープ」はなぜ関東でうけないか

テレビが家にやって来た。

威張る話でもない。10年ぶりにテレビを買って届いた。というか買うのは初めてである。前のはもらいものだ。

テレビひ進化していないとか偉そうに書いたが、別に深い思想があるとか「テレビ見ない自慢」をしたいわけではない。

今、当面見たいのは「探偵!ナイトスクープ」である。


探偵!ナイトスクープ」は朝日放送テレビが制作する関西では知らない者はいない長寿番組である。

金曜夜の11時という時間帯で視聴率が20%。最盛期には30%を超えたお化け番組で、もう30年以上続いている。

ところが関西では知らない者はいないこの番組も関東では「知る人ぞ知る」となってしまう。

一体なぜだろう?

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毎年、実家に帰って年末の総集編だけ見ていた。

毎回、個人的で、あまりに小さくて、些細過ぎる依頼が視聴者から寄せられ、それに対して探偵となる芸人が真剣に応じる。アポロ計画ばりに丁寧に依頼を聞くくせに、小学生の自由研究並みに取り組む。

構成は基本的にこれだけで、茶化しなどはテロップのみとなる。

冷蔵庫の引き出しが開かなかったり、タイルの模様が嫌いを克服したい女性がいたり、少年が一休さんになりたかったりと、まあ「くだらない」。

くだらないけど見てしまうのがこの番組で、くだらないと思っていたら意外と感動したりするのが番組の魅力である。


どうも東京に来て思うのは「くだらない」ことを大げさに騒ぐことである。もっと言うとくだらない内容をいかにも普遍性とか社会的意義があるかのように喧伝する傾向にある。

一例が安倍晋三前総理の病気をあれだけ大げさに特集したり、有名人がコロナに感染したり。おおよそ普遍性などない話題を専門家を呼んで眉をひそめるのだ。

首相が仮病を使ったとすれば問題だが、感染することがまれな難病を特集することに意味はない。

それにもかかわらずあくまで重々しく、真剣に報道することで、社会的意義を取り繕っている。


妙な報道批判になってしまった。

要は意味のない話題を流すのが怖いのだ。東京という巨大都市で公共の電波を使うには社会性やらみんなが興味を持つ話題性が必要なのだろう。

しかし、と思う。

誰しも日々の生活で気になるのは、今日の通勤電車で座れるかとか最近飲み過ぎてるけど肝臓の数値は大丈夫かなどで、おおよそ他人から見るとくだらない話である。

くだらないことを堂々と番組にしてしまうのが関西人の強さであり、この「探偵!」の魅力なのだ。そしてくだらないことが人生に彩りを加えているということをこの番組は教えてくれる。


今日の私の悩みは相方が夜遅くまでごそごそして眠れなかったことと家を訪ねて来る友人に串揚げを上手く作れるかどうかだ。

これもまたくだらない悩みであり、くだらないの積み重ねが人生を築いている。