クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ぼんやり療法のススメ

最近忙しい。というかずっと忙しい。

忙し過ぎるとどうなるか。今年6月に1ヶ月連続で働いていたら、頭が働かない、集中力がない、楽しいという感覚がないという具合になった。

今もまたそんなことになりかけていて怖い。ここらでストレス解消でもしないと廃人にでもなってしまいそうだ。

 私にとってのぼんやりすることが最大の治療法となっている。そこでこれを「ぼんやり療法」と名付けてどんどん勧めていきたい。

 

 基本的に登山もランニングもぼんやりするためにやっているようなものだ。先日、谷川岳馬蹄型縦走をやった後は頭の調子がすこぶるよかった。

登山やランニング中は頭が暇なので、ぼんやりといろいろ考える。哲学的考察から人工知能研究、埼玉県と奈良県の共通点まで。このブログもぼんやりした中で思いついたことをひたすら書いている。埼玉県と奈良県の共通点については今度ぼんやりした時に続きを考えようと思う。

ぼんやりする時間がないと何も思いつかない。早いところ休みになってほしい。

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ぼんやりテント療法

最もぼんやりできるのはテント泊である。

特に雪山では寒いので本も読みづらく、ひたすら寝袋にくるまっている。最初はうたた寝をするが、そうそう長時間は寝られないのでぼんやりとする。

そして、

「山では山の本を読みにくい。山の本は遭難事故か紀行文しかないからだ。どちらも今のシチュエーションを自分のシチュエーションに差があって、入り込めないからかもしれない」

とかぼんやり考える。

こういう時に仕事のこととか考えるとダメである。できるだけ意味のないこと、色気のないことを真面目に考える。

そうしていくうちに、妙に思考が冴えてくるのだ。

 

「ぼんやり」にはどうもネガティブな印象がつきまという。それはそうかもしれない。

東海東京証券のホームページによると、

日常生活において「ぼんやり」は物の形や色がはっきり区別できない様子、間が抜けている様子、何もせずに活気のない様子といった意味で使われますが、株式市場においては相場が下落している状態のときに使われます。市場においてもぼんやりは本来の言葉の意味に由来する表現として使われており、相場に活気がなく、下落しつつある状態のことを表しています。

となっていて、株式市場でも「ぼんやり」としているといけないらしい。

都会では「ぼんやり」しにくいようにできている。電車ではちっこいテレビがあり、窓の外には広告、足元にも注意書き。日本が極端な部分もあるけど、「ぼんやりする時間があればベンキョーしろ」と言わんばかりだ。

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赤城山の雲

まあまあそんなこと言わず、雲でも眺めてぼんやりしましょうよ。