月曜の早朝、会社のあるビルに入るとドラマか何かのロケをやっていた。
「深津絵里がいたよ」
仕事を始めていたらそんな声が聞こえてきた。
ほほー、深津絵里とな。
とは言えそれほど興味はない。半年くらい前に「鈴木保奈美とすれ違った」と声高に言われたが、そもそも誰だかわからず、「石橋貴明の奥さん」と言われてようやく「ふーん」というのにとどまった。
それにしても我が家には10年以上テレビが存在しないのに、10年前、いや20年以上前と変わらない人が頻繁に出ているのは驚きである。つい先日もラジオ番組で森口博子と浅香唯が出ていて、時間が止まっているような気がした。
テレビやラジオは過去のメディアになってしまったのだろうか。
最近YouTubeが楽しい。
「最近のユーチューバーの編集能力はすごいですよ。そのうちユーチューバーがテレビで宣伝するようになるんじゃない」
というようなことを言っていたが、早くもそれが現実になりそうな感じがする。手持ちカメラやGoProのようなウェアラブルカメラ、ドローンなどを組み合わせれば一昔前にウン十人がよってたかって作っていた映像を簡単に作ることができ、情報はネットからいくらでも手に入る。
テレビ局の特権はインターネットやスマートフォン、各種技術の登場により、奪われつつある。もはや宅内の動画撮影くらいで肩に食い込むビデオカメラも、照明設備もいらない。
私がよく見るのは歴史ネタのYouTube番組。
テレビでも歴史番組はいろいろあるが、啓蒙と感動の押し売りみたいなのが多くて嫌になる。歴史は「解釈」である。すべての歴史物語は「こんな説があります」というものの集合体であるにもかかわらず、テレビは「これが真実だ!」と押し付けることが多い。それがマスコミと責務と任じているのだろうけど、うるさい。
YouTubeの歴史ネタは趣味的、それでいて好きな人が作っているだけに面白い。お勧めは「非株式会社いつかやる」で、しっかり調べているし、「こういう説もある」とハッキリ言っていて好感が持てる。
テレビ局は番組を作るプロであって、コンテンツについてはプロでないケースが多い。それにあくまで仕事で作っているのだから、専門家になるつもりもない。
そこで、テレビ番組ではその道の権威、大学教授などをやたらに連れてくる。間違ってはいけない。でも番組の内容についてはそれほど極めるつもりもない。しかし完成度の高い番組は作りたい。
その意図が時折透けて見えてくる。
私も大学時代に歴史をちょっとかじっていた。テレビに登場する教授は業界内では亜流であることが多く(そう母校の教授が言っていた)、時々言いきっちゃって大丈夫かと思うことがある。
テレビの手法はここ10年くらい変わっていない。
滅多に見ない私がザクっとくくって評論するのは乱暴ではあるものの、進化するのは映像ばかりで、その映像技術もユーチューバーが簡単に真似できるようになってきた。