今、会社が大変である。
会社の役員が懇意にしている飲食店がコロナ禍で大変だというので、弁当を売り出した。1個税込みで1000円。
役員の顔を立てるためにもたくさん注文しないとと騒いでいる。昼飯に何を食おうと勝手にさせていただきたいものなので私は知らんぷりしているわけだが、これが直接指示を受けたのならそうも言っていられないだろう。
大変である。
会社の上役が勧めるとあっては当然サラリーマンとして付き合うのが普通である。
私の会社は「普通の人」が多いらしく、部長たちは次々注文している。何かの機会に
「あそこの弁当美味しいですね!」
と言わなくてはならない。逆に「ああ、まだ食べていません」と答えると後が大変だからだ。
公私混同を嫌う割に公私を混同したがるのが日本的企業の特徴と言える。
それよりなにより気になるのが「サラリーマンとして」という思考である。
勤め人の思考はある意味で江戸時代の官僚的武士と共同体の農民的思考の組み合わさったものと考えられる。武士は上司の言うことは絶対という縦組織であり、農民はコミュニティの中での調和を重視する。4、5百年前の考え方が今の会社と言うコミュニティで良くも悪くも生きているのだ。
職業選択の自由のない江戸時代は武士にしろ農民にしろクビになると即食いはぐれる可能性が高い。農民もクビにならなくてもコミュニティで無視されると生計が立ち行かなくなる。クビというのが死と直結すれば忖度するのは当然の話。職が食と結びついている日本では職に就くと魂まで売り渡していることになる。
しかし、今の職がこの変化の多い世界で生涯続く保証なんてどこにもない。職に縛られて好奇心や思考の芽を潰さないようにしなければならない。
文部科学省がしきりに「生きる力」を身につける教育と喧伝しているが、本当の生きる力とはクビになってもなんとかする力と言い換えられるかもしれない。
さて、弁当の内容だが、肉魚など7種類。生姜焼きや焼き魚など。
こんな普通の内容で1000円は高い。これなら普通に外で温かいメニューを食べるし、自分で作れば晩酌セットも付けてしまうぞ。
コスパの悪いものは付き合わないのが主義なので、これからどうやって弁当の脅迫を回避していこうかと考えている。