クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

少子化と国民国家の関係

先日、入社2年目の社員が子どもを預けてから出社すると聞いて驚いた。おそらく大学卒なので入社2年目と言えば24歳かそこら。それで子どもがいるのだ。

考えてみれば我が親は24歳で結婚して25歳で私が生まれている。かつてはさほど珍しい話ではない。サザエさんだって設定は24歳。

昔の若者の方が何倍も大人だったのだろうか。

ここ30年くらいずっと少子化が言われてきて今や少子化担当の大臣までいる。

ではなぜ少子化が進行するかと言うと、「独身がいい」というのと「お金がない」というのが内閣府の分析のようだ。そんなわけだから、子どものいる家庭にはお金を配るというのを公約にする議員も多い。

ただ、金を配って保育園を用意すれば出生率が上がるのかというと、どうもそんな気がしない。「子どもがいると教育費が大変で」という話は聞くものの、飢えるほど苦労しているところは稀だ。お金をくれるから子どもを作ろうという発想にもならない。

子どもに費やす時間と金が補助金程度で釣り合うとはどうも思えないし、もう少し他の点から考える必要があるんじゃないかと思う。

 

思うにわれわれは個人主義自由主義を教え込まれている。

近世、近代までの日本では子どもは親の財産だった。子どもが多ければ耕作人も増え、場合によっては毛利元就のように養子に出したり、近縁を結ぶことで家勢を強めることにも繋がった。

しかし、今の人にその発想はない。子どもがいても大半は別居しているし、90歳を過ぎても子どもに頼らない親もたくさんいる。

これは個人主義が発達したのと、子どもを国家が取り上げたことに起因している。かつて親の財産だった子どもは国民国家の名のもと、親から取り上げて学校に放り込み、「自主自立」を促した。近代において「国民」という概念を生み出し、国家運営を楽に行うテコとした施策だったわけだが、これによって地域や血縁コミュニティの意識が後退してしまった。

もはや「拙者は〇〇家」と考える人は少なく、みんな一律で「〇〇人」となっている。結果、子どもを増やして家は繁栄という未来を描く者は少なくなり、少子化が進行したというのが私の分析だ。

 

「ではどうすればいいのだ?」と訊かれそうだが、私にその答えはない。

ただ、少子化は社会システムの問題だから金金で解決はできまいよと言いたい。