過激なタイトルを付けてしまった。内容はマイルドにしようと思うので、ご安心を。
相方の友人がよく
「私は、一緒に仕事をするなら、性格はクズでも仕事さえやってくれたらいい」
と言っている。要は仕事上の付き合いだけなら、仕事だけできればいいわけで、人柄は最悪でも問題ないのだという。
日本的家族経営とは異なるが、ハッキリした意見だ。
確かにいくら人柄がよくても仕事しに会社に来ている以上、無能は困る。むしろ迷惑だ。彼女は人柄が悪くてもうまくあしらう自信があるらしい。
身近に「能力はあるが、人柄は最悪」と噂される人がいた。
なるほど知識は同じ部署に長年いるので蓄積されている。ただ、部下の扱いは酷く、ほとんどパワハラレベルだ。こうなると究極の選択で、無能で人柄の良い上司の方がいい気もする。
ただ、よく考えてみると、管理職がパワハラ状態だとチームとしての能力は下がるわけで、それは「能力がある」とは言えない。個人の能力があっても、全体としてのパフォーマンスを落とすのは「能力がない」ことに等しい。
そう考えると「人柄は最悪だけど仕事のできる人」というのは、その人柄を上回る能力が必要だ。「人柄が嫌なので、あの人と仕事したくない」ともなれば、結果的に無能となってしまう。
これは相当にハードルが高そうだ。
今、地方選挙のポスターが貼ってあって、みんな人柄良さそうな笑顔を向けている。
あの中から「仕事のできるクズ」を探すのが選挙の目的とも言えそうだ。