クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

文系人間の理系コンプレックス

ここのところ本は図書館で借りることが多い。

買うとなると失敗したくないので、無難に知っている作家や確実なジャンルを選んでしまう。それが図書館では意外な本でも手が伸びる。単にタダだと思うからなのだが。

そんなわけで梅雨時は読書である。

ハイエクの経済論を知ろうなどと大それたことを考え、4週間の間に読み切れないなどということを繰り返している。

私の場合、翻訳本は時間がかかる。一方で日本人の日本語ならそこそこ読める。先日、ROE経営の云々という本を借りたが、完全ではないけど読むことは読めた(理解できているかは別として)。

読んでみるとなんとかなるものだ。

 

先日、会社の人事でこんな話が挙がったらしい。

「部署によってはやたらと理系を配置しろと要求するが、大学で理系だったからといって仕事で活かせるかなんてわからないではないか。〇〇なんて文学部で電気の資格を持っている」

この〇〇というのが私である。電気の資格は会社で必要に迫られて取っただけだし、簡単なものなので威張れたものではない。

妙なところで引合い出されて光栄なのか不名誉なのだかわからないが、この話は日本の「鉄は熱いうちに打て」と「手に職」信仰を物語っている。文学部なんていうクソの役にも立たない学問をやっていた人間より早くから理系を選択し、技術を身につけた人間の方を現場は欲しがるのだ。

その反例として「なんでも屋」の私が挙げられたようである。

 

その「なんでも屋」から言わせると、多くの知識は文字から得られる。この時代、YouTubeでもいいのだが、動画は内容のわりに時間がかかる。文字の方が効率がいい。

媒体は紙でも電子でもどちらでも構わないが、とにかく文系だろうと理系の本を読めばそれなりの「理系」になれる(ような気がする)。高校の時に「数学嫌いだし」と文系を選択したがために、一生理系コンプレックスを背負う人があまりに多いように思えるのだ。

一生背負う看板を「文系」と「理系」のたった2つに色分けするのはもったいない。自分の看板は自分で架け替えられるように今日も本を読んでおくことにしよう。