クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

アウトドア派がエコというわけではないこと

「この間、コンビニ行ったときにエコバッグ忘れて」

と上司が言った。

「別に6円が惜しいわけじゃないけど、そういう問題じゃないから、袋いりませんって言って抱えて帰った」

ほうほうそういうものか。私は6円が惜しいからエコバッグを常に持っている。「そういう問題じゃない」というのはお金の問題ではなくエコロジーかどうかが問題だということだろう。

エコな人間じゃなくてはならないというのが、今の価値観となっている。

 

丸の内のピカピカのビルにいる人種がエコだとか自然を守れと言われても冷めてしまうところがある。エコバッグを使えば年間何トンのビニール袋が減って、それによってCO2が何トン減って、だからどうなんだい?と。

そんなにCO2が問題ならエアコンをつけず、日当たりのよいところで仕事をすればいいではないか。駅までは徒歩か自転車。日没が来たら寝る。

意地悪な言い方をすればエコバッグがなんだというわけだ。

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 それではアウトドア派がエコかと訊かれるとこれまた微妙である。登山靴で山中を歩きまわるのも釣りをするのもテントを張るのでさえ環境を壊す。テント場を作り、山小屋を作るのも同様である。

しかし、丸の内にいるのと北アルプスにいることの何が違うのか。

人間が自然を直に壊していることを知っていることだろう。街中にいてももともとあった自然を壊していることを意識しづらい。すでに土地は均され、アスファルトに覆われ、あたかも昔からそんな状態だったとしか思えない。

山や川のそばにいると、過去の在りし自然を想像する手がかりくらいは見て取れる。登山靴で踏まれて削れた苔、クランポンで傷ついた岩。

 

アウトドア派がエコというわけではない。

しかし、人間の存在そのものが自然にとって悪影響であることは知っている。

だからこそ、「自然に優しい」という安易な偽善を言うことはできない。