クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

登山はなぜ楽しいのか

今さらながら田中陽希さんの「グレートトラバース」を録画して見ている。現在は4時台というすごい時間帯に放送しているのでオンタイムで見ることはできない。

今は奥秩父金峰山から甲武信ヶ岳に向かっている。と言っても再放送だから実際はかなり前なんだけど。

番組では「前人未到の偉業」と宣伝しているが、もちろん百名山を個別に踏破するのはかなりの人がやっている。しかし、日本列島を人力で旅する姿を見るのは日本のサイズ感も知れてなかなか面白い。

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国師ヶ岳に行った時の写真

見ていて百名山というのはずいぶんと整備されているなあというのが印象だ。

基本的にこういった山は登山道から外れて歩かないように指導されるので、登山の自由度としては進退しかない。つまり、天気が悪い、体調が悪いから帰るか、調子がいいから進むか。肉体と天気という自然を判断して決めるのはそれなりに楽しいことではある。

しかし、歩くルートは決めることができないし、基本的に看板が随所に立っているので迷うこともない。楽ではあるが、自由度は少ない。

 

皮肉なことに深田久弥が「人の手が入っていなくていい山」と百名山に入れたがために整備されてしまった山がある。

私は登っていないが、平ヶ岳雨飾山などはかなり人気が少なかったそうだ。

一方で、百名山の選から漏れたために比較的静かな山もある。北アルプス・霞沢岳は上高地から見ると立派な山だが、徳本峠からの道は草木が生い茂り、人も穂高などと比較にならないくらい少なかった。

おかしなことに、百名山になると登山の自由度も減って、ルートファインディングもバリエーションルートからの登頂もやりにくくなる。

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百名山になると道標は一気に少なくなる

 

登山の楽しさは何かと考えると、自分で決めることだと思う。

街中では歩くのすら、歩道を歩けと決められ、信号機のお伺いを立てねばならない。

今は少しでも人が多い場所ではマスクをしないとジロジロ見られ、深呼吸も咳も迂闊にできない。都市生活の秩序というのは大きな監獄に入っているのと、程度の差こそあれ、変わらないともいえる。

私のような中途半端なレベルの登山者はできるだけ、自由度の高い山を残しておいてほしいと思ったりしている。