「買い物に行ってエコバッグをわすれちゃって。別に袋代の6円が惜しいわけじゃないけど、そういう問題じゃないじゃない」
そんな会話を聞いた。「エコ」じゃないのが気になるらしい。
当初、ビニール袋をもらわなければ2円引きというのをイトーヨーカドーや西友でやってたかと思っていたら、今度はビニール袋は1枚2円。そして今は6円になった。
私は小銭が惜しいので、2円引き時代からエコバッグを持っていた。ちなみにエコバッグ自体が貰い物をいまだに使い続けている。我が父はもっと徹底していて、タダでもらえるところでもらった袋を丁寧に折りたたんで、常に忍ばせておき、金のかかるところで取り出して使い、最後はゴミを出すのに使っていた。
金を取ることでビニール袋を使わなくなる取り組みそのものは成功していると言えるかもしれない。
一方で「エコバッグは環境に悪い」という記事を見かけた。
言われてみれば、エコバッグはたいていナイロンか何かでできていて、これもまた石油製品だ。少し多く買うと1つで足りないので、2つ以上持つ必要があるし、1人1人が持っておかなくてはならない。エコバッグだって、製造・運搬・販売という物流の過程でエネルギーを使い、CO2を排出している。
しかも、ビニール袋はゴミ捨てか何かに使うのだから、ただ無駄に廃棄されているわけではない。市販のゴミ袋を使ったら資源の無駄という意味では同じことである。
結局、どちらが環境にいいかと言えば、おそらく検証は不可能。きっと「エコバッグ派」と「反エコバッグ派」の水掛け論になるに違いない。
先日、駅前で「カーボンオフ」を主張している議員がいた。
正直、このカーボンオフの考え方は好きになれない。CO2の排出をゼロにするには息を止めなくてはならない。
彼ら、彼女らの言うCO2排出ゼロとは
「こっちでは排出しているけど、こっちでは排出削減に貢献しているから差し引きゼロ」
というなんとも言えない言い逃れの論法である。しかも、人は光合成ができるわけではないから、「他人(他国)の出したCO2を私が削減した」という理屈となる。
その一方で、景気対策やコロナ対策の補助は訴えるのだからよくわからない。景気が良くなれば人が動き、資源を使い、ゴミを出し、CO2を排出する。
先の「エコじゃないと」発言を見るに、どうも現代人はエコを経済活動に対する免罪符を求めているような気がしてならない。
70億にまで膨れ上がった人類は誰を取っても「エコ」な存在でありえない。その中で「せめて私だけはエコではない罪から逃れますように」という「エゴ」がエコバッグには透けて見えて、どうも私には違和感が残るのである。