クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

鋼のメンタルになるには

平日テレビも動画も見ないことが多いので、ついつい週末に余計なものを見てしまう。つい一昨日も相方が贔屓にしている芸人さんが「鋼のメンタルになるには」という問いに答えているのを見てしまった。

この手の話はありとあらゆる人が話したり、書いたりしている。

果たして他人の意見でどのくらいメンタルを強くできるのだろうか。

会社に鋼のメンタルを持つ人がいた。

上司に1時間立ちっぱなしで説教されてもケロッとしている。他人が見れば十分にパワハラのレベルなのに、当人は「今日は短かったな」とか言っている。説教をする方もされる方も時間の無駄だし生産性を低下させる行為であるのだが、とにかく鋼のメンタルだ。

その後、この人は鋼のメンタルで活躍したかというとそうではなく、後輩に非常に嫌われ社内で少々問題となった。どうやら他人に対して究極の鈍感だったようだ。

いくら鋼のメンタルでもあまり真似したくない実例である。

 

失敗や非難を恐れない、気にしないというのは鋼のメンタルに重要な要素のようだ。

坂口安吾に「鋼鉄製の青年」と呼ばれたのは大山康晴である。名人戦で時の塚田名人にやや不遜な態度で臨んで敗れたものの、新タイトルである九段を勝ち取り、その後も数々の記録を残した将棋界のレジェンドだ。

将棋界は完全実力主義となっている。この中では失ったものは実力で取り戻さなくてはならない。実力があればどんな非難も気にならないのがいいところだ。

しかし、これはあまり参考にならない。世の中の大半は実力者ではないからだ。

いろいろな人の意見を見た中で、私の結論は「こうあるべき」という考えを捨てることだ。

「鋼のメンタルになるには他人の批判を気にしてはならない」と考えると、他人の批判を気にしないことがあるべき姿となる。結果、その理想と現実のギャップが自分を苦しめることになる。元来、他人の批判を気にするのが普通なのだ。

何があっても動じないというのは理想だ。ただ、理想に近づけない自分を責めていてはさらにメンタルを傷付けてしまう。理想は現実を動かす原動力となるとともに精神的重圧となるのだ。

理想をある程度捨てること、今の自分は「こんなもん」と割り切ることが鋼といかずともアルミ製くらいの精神にする秘訣ではないかと思っている。