クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

天才の肩書とは~将棋の肩書を巡る考察

アウトドアとは関係のない話を少々。

竜王戦藤井聡太三冠が勝ち、ついに四冠になった。妙なのは肩書は「四冠」ではなく「竜王」となることだ。かつて羽生善治が王位、王将、棋王、王座という時代は「四冠」だった。名人と竜王は別格なので、この2つが加わると他は表記しないらしい。ちなみに名人と竜王を取ると「竜王・名人」となる。

将棋や囲碁の肩書の変遷は面白い。江戸時代は家元制で、滅多に他流試合などしなかったから、実力云々より肩書が実力を語るという向きがあった。いくら「実力日本一」を標榜しても戦ってくれなければ意味がない。

これは無闇に戦えない武道にも言える。負けたらあっという間に権威失墜。そんなリスクを負うより最小限の実績で最大限の肩書を得る方が効率的というわけだ。

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熊本城前の加藤清正像(内容と無関係)

将棋の長い歴史は割愛するけど、実力のある者が最高の肩書を名乗るとなったのは木村義雄十四世名人が実力性による名人戦を始めたことによる。棋士の育成機関である奨励会に入ってから名人になるにはどう見積っても10年近くかかるわけだが、それでも誰もが名人になれるというのは革新的なシステムだった。スタート当初のタイトルは名人のみだったが、各新聞社が購読数争いをする中で、次々棋戦が登場し、今は8つにまで増えている。

しかし、8つもあると正直なところ「誰が最強かわからん」となる。

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熊本城内(やはり内容と無関係)

将棋にしろスポーツにしろ、肩書以外に語るものと言えば愛称。将棋では人となりというより棋風を指すことが多い。

古くは中原誠「自然流」、米長邦雄「さわやか流」、内藤國雄「自在流」、森雞二「終盤の魔術師」など。これらの多くは棋士芹沢博文九段が付けたという。それでいくと昨今は特異な愛称が少なくなった。あるのは今の五十前後の世代、谷川浩司光速の寄せ」、羽生善治「羽生マジック」、佐藤康光「緻密流」、屋敷伸之「忍者」までで、その下の世代にはあまり見ない。これは付ける人がいないためか、「悪口」になるのを防ぐためか。

一手一手の真価がわからない一般人が盛り上がるポイントになると思うのだが。

どの世界でも肩書がモノを言わなくなった時代で、せめてユニークな愛称があってもいいのではと思う。