クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

天才は忘れた頃にやって来る

藤井聡太名人が誕生した。

将棋界では冗談めかして「天才は忘れた頃にやって来る」と言うらしい。その天才も名人になるまでは公式認定されないのがこの世界だ。

「ひふみん」こと加藤一二三は「神武以来の天才」と呼ばれたものの、名人位にはなかなか就けなかった。最年少での名人挑戦から時を経てようやく名人位に就いた時、初めて「天才」となったとも言える。

実力制名人制度が始まった時から、名人こそが第一人者であり、日本の英智に相応しい人物の証だと言える。

ちょっと大げさだろうか。

先日も本ブログに書いた棋士の故河口俊彦氏がコラムで棋士の格付について書いていたことがある。それによると当時(1990年代後半)の超一流棋士中原誠羽生善治だという。記録の基準は第十五世名人の大山康晴で、こちらも超一流。

生まれは大山康晴1923年、中原誠1947年、羽生善治1970年。ちょうど20年ちょっとの差で誕生したことになる。大山-中原は直接の名人戦による交代。ただし、中原-羽生のタイトル戦は実現することはなかった。羽生が直接タイトルを争ったのは1962年生まれの谷川浩司なので、こちらは8歳差。

羽生世代の後に立つのが渡辺明1984年生まれで14歳差ということになる。そして藤井聡太は2002年生まれで18歳差。

並べてみると、大山(24歳)中原(23歳)羽生(14歳)渡辺(18歳)藤井ということになる(誕生日は不考慮)。15年から25年の間で天才がやって来たことになる。

 

将棋の世界で面白いなあと思うのは、81マスの限られた世界で新しい可能性が次々生まれることだ。

大山康晴の全盛期、将棋は守り勝つものだった。人間は攻めればミスをする。それを咎める方が勝率が上がるという理屈だ。それが中原誠は相手が攻めれば守り、守れば攻めるという「自然流」で勝ち上がる。

羽生善治の時代になると序盤から研究され、自玉を堅くし速攻でリードを奪うことが重視された。

そして今は攻守のバランス重視がトレンドだ。

考え尽くされたようで、まだまだ金脈は眠っているのである。次の金脈を見つける天才はいつやって来るのだろう。