クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

もしも「偉く」なったら

数年前に辛坊治郎のラジオ番組に安倍晋三総理大臣(当時)が生出演したのを聞いたことがある。

辛坊治郎

「偉い人というのは肩書がころころ変わるので、私は”さん”付けで呼ぶことにしているんです。今から”安部さん”とお呼びしていいですか?」

と冒頭に話し、以降時の総理大臣を番組内では”安部さん”と呼び続けた。辛坊治郎曰く「偉い人はコロコロ肩書が変わって間違えてしまうから」だそうだ。

偉くなると何かしらの肩書が付く。ただ、肩書を付けて呼ぶかどうか迷うことがある。

15年以上前に山で会った友人は後から聞くと「室長」だった。次の登山で職場の人を連れて来て、その人は部下ということだったが、”さん”付けで呼んでいて、山ではよく喧嘩して下りて来るらしい。

この2人と山に行くと、上司と部下という関係でなく付き合えるのはいいもんだと思った。

 

偉くなると肩書を付けて呼ぶのが日本の習わしだ。「浅野内匠頭殿」みたいな具合である。

古来、名前は神聖なものなので、貴人の名を下々が直接呼ぶことは許されない。「宮」や「殿」というのも本来は貴人の住む建物が呼称に変化したものだ。畏れ多いので代わりに建物や場所を呼称にするのである。

現在は一応、四民平等なので建物を呼称にすることはないが、社長を社員が”さん”付けで呼ぶことはない。

しかし、肩書付けで呼んだら最後、名前は裸のままで扱えないほど勝手に「偉く」なってしまう。偉くなったら裸の名前でなく、肩書に釣られて付き合う人も増えるだろう。

それを誇りに思う人もいるし、面白い出会いがあるかもしれない。ただ、そういう付き合いが長く続くのだろうか。

 

今のところ私自身は「偉く」ない。

その意味で今付き合ってくれている人には感謝だ。そして、日々アホなことをダラダラ書き綴っているのを読んでくれている人にも感謝感謝である。