クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

江戸時代は本当にサステナブル?

サステナビリティSDGsがよく言われる時代である。

サステナビリティを日本語にすると「持続可能性」。ただ、環境保護の意味やエコロジーと捉える向きが多いように思える。

そこでしばしば、江戸はサステナビリティな町だったと言われることがあるが、本当だろうか?

江戸の町は1700年代には100万人ほどになっていたらしい。ロンドンで86万人、パリは54万人と言うから、極東の僻地に巨大都市が突如として現れたことになる。

1800年頃のロンドンは産業革命で農村から労働者が流入したことで、貧富の格差が広がり、不衛生なスラム街は疫病と犯罪の温床となっていた。

それと比較すると、江戸の町はとんでもなく犯罪発生率が低く、上下水道が整備されていた。ペストといった感染症が流行しなかったのは、江戸の水の衛生状態が幸いしたと言われる。

さらに江戸の町は人口による需要が大きいので、ゴミやし尿も含めて無駄にできる資源が少ない。くず屋と呼ばれるリサイクル業者が町中を廻り、それが世界的に稀な衛生都市を作っていたのだ。

 

ただ、江戸時代の町の古地図を眺めると面白いことに気づく。

江戸の古地図ではわかりにくいのだが、京都になると周囲に山が描かれる。そしてその山を見ると見事に禿山になっているのだ。

これは町が過密状態となり、燃料を近場の山で調達したことで起きたものだ。燃料の主な用途は煮炊きで、100万人都市ともなるとかなりの量が消費されていた。同時代のイギリスや中国の燃料は既に石炭へシフトしていったが、日本では江戸時代を通して木材が主な燃料だった。江戸の周囲に山がないが、やはり同心円状に禿山は広がっていたらしい。

そう考えると江戸の町というのも決してサステナブルではない。

 

いろいろ考えるにサステナビリティの最大の敵は何かと言えば人である。

どんなに慎ましく生活していても人の生活は地球環境にマイナスとなる。人口が多ければ消費は必然的に大きくなるし、その中で1人だけ原始人にはなれない。

今、企業がサステナビリティへの取組みを喧伝しているが、一所懸命になればなるほど環境にはマイナスなんじゃないかと思ったりする。