夏山シーズン開幕ということで、遭難事故が相次いでいるようだ。
われわれが笠ヶ岳に登っていた時、向かいに見えていた穂高では2人も亡くなっていたらしい。報道を見ていると、前穂高岳の紀美子平あたりだったりして、なんであんなところで思ったりするが、案外何でもないところで遭難事故は起きるものなのだ。
実は今回の笠ヶ岳登山でも遭難ニアミスとも言えるシーンを2度も目撃している。
最初は笠新道からの登り。相方がヒーヒー言っているすぐ後ろで、同じくヒーヒー言っているおじさんがいた。私のバックパックが45ℓ、相方が36ℓなのに比べると随分大きなバックパックを背負った人で、明らかに荷物に負けている。そのおじさんが、緩やかな坂道に差し掛かった時、ゆっくりと横に重心がズレて、斜面の方に転がった。そして、ゆっくり、横に一回転して下の灌木に引っ掛かった。
あまりにゆっくりきれいに落ちたので、声も出なかった。
助けねばなるまい。私は慌てず落ちた箇所を観察して向かおうとすると、おじさんは斜面から自力で登山道に這い上がって来た。その後、登山道で一息入れていたが、怪我はないらしい。
笠新道は登りの延々続くキツイ道である。
この遭難ニアミスの原因は明らかで、坂による疲労で足元がふらついたことによる。
見ていて感じたのは、何でもない緩やかなところで、この手の滑落が起きるということだ。急坂が終わり、緩やかにトラバースしていくところで、平衡感覚を失って斜面側に落ちた。それに対して手をつく、足を出すなどの抵抗する力は残っていなかった。
体力不足と言ってしまえばそれまでだが、急坂を登ったところで、力も緊張感もふっと抜けてしまったのだろう。
ちなみに下山時にも同様のニアミスが起きた。デジャヴじゃないかというほど類似していて、バランスを崩したおじさんが今度はなぜか後方に向かって落ちていった。この時も落ちた人はすぐに登山道に這い上がって無事だったようだ。
山での遭難を糾弾するのは簡単だ。「実力に見合わないところに行きたがる」、「体力不足」、「緊張感が足りない」、etc.
ただ、山に行く人がいる限り、遭難事故は起きるだろう。人間は完璧になることができないし、不死身ではない。だからこそ山に登りたくなる。
山でもしも倒れたらと考えると、私もまったく他人ごとではない。