「なぜ登山なんてするの?」と訊かれることがある。確かに説明しにくい。
「あなたにとって登山とは何ですか?」などという哲学的なことを訊かれたこともある。そんなことを訊かれても困るのである。
意地悪な答えとして「山に行って遭難せずに帰ることです」ということがある。「じゃあなぜ遭難するかもしれないのに行くのか?」とさらに訊く人はあまりいない。
遭難はもちろんネガティブなものだが、登山はすなわち遭難ゲームだと言うことも可能である。登山をするうえで遭難を考えない方が不自然と言える。
ではどうやって遭難事故を防ぐのか。
体調を整える、装備を万全にする、危ないところを選ばない、スキルを磨く。いろいろ入門書には書かれている。
しかし、最も必要なことはどうやったら遭難するかを考えることだろう。遭難事故は下山時が多い。それは体力だけでなく、想像力と判断力が鈍るからで、「ここで落ちたら」とか「このルートで合っているのか」という考えがなくなるのだ。
対策をどうするかは永遠のテーマではあるが、事前に遭難することを考えておくことがいいような気がする。
・途中でスリップして身動きが取れずに雨に叩かれる。
・迷って沢筋を下りてしまう。
・下山が遅れて真っ暗になる。
・藪の中で方向がわからなくなる。
ネガティブと思って避けてはいけない。遭難を考えなければ避けられないのだ。
遭難事故が起きるとマスコミ、ネットなどはすぐに騒ぎ立てる。山岳雑誌も「山で死んではいけない」と書く。
しかし、遭難が登山の一部である以上は減ることはあってもなくなることはない。本当になくなるのは登山というアクティビティが消滅した時だ。したがって、登山者ができることは遭難について考えることだけである。
最近は慣れとズボラさが出てあまり遭難想定をやっていない気がする。私自身が自戒しなければならない。