北海道に行って思わず探してしまうものがある。
モノというより人で、チャリダー、つまり自転車旅行者だ。かつて30年以上前は夏ともなると車輪の横に大荷物を付けた自転車が北海道中をワンワン走り回っていたらしい。
私が北海道を横断した十数年前はかなり少なくなっていた。そして、時折見かけるチャリダーのほとんどは20代の金のない若者が中心で、汗臭くて(2日に1回くらいしか風呂に入っていない)、薄汚れていて(2枚くらいの衣類を使いまわし)、孤独な人間(1人じゃないとペースを合わせて漕げない)が多かった気がする。
ただ、チャリダーと言っていいものか。おそらく大学の自転車部とかだろう。男女総勢15人くらい。和気あいあいと実に楽しそうだ。
自転車ツーリングというのは登山以上に集団行動が難しい。わずかなスピードの差でも1日でかなりの時間や距離に差が出るし、加速減速のタイミングも個人ごとに異なる。どんなに仲が良くてもストレスを感じないわけにいかない。
そう考えると集団でツーリングをする彼らはよく気遣いができるのだろう。固まってテントを張り、共同で夕食の準備をしていた。
かつて私がやっていたのは孤独な日陰者のチャリダーだ。別に「友達いらない」というわけではないのだが、独力で北海道を走るというのをしたかった。
最大のハイライトはサロマ湖畔で、見ず知らずの3人がなぜかペースを合わせてキムアネップ岬キャンプ場に向かった時だ。
3人ともソロで、1人は二十代後半の男性で日本一周中、もう1人は二十代半ばの女性、そして私。私以外の2人は仕事を辞めて来ていた。
彼らよりよほど年を取ってしまった今の私から見ると、なんとも自由で、孤独で、たくましい。2人とも仕事を辞めてなんとも清々しい顔をしていた。
翻って現在、孤独なチャリダーは50代以上が多い。阿寒湖では3人ほど見かけたが、明らかに50歳以上だった。
1人で走っている若者はもう流行らないということか。
しかし、単独行の孤独と自由の本当の価値を知れるのは感受性の豊かな時しかないのだ。
今私が主張しても年長者の押し売りにしかならないのだが、1度は孤独なチャリダーをやってほしいと願わずにいられない。