クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

夜のランニングと努力

夜のランニングを再開してやや筋肉痛になっている。

まだ蒸し暑いので、走り出して15分もすると汗がダラダラ流れて、清々しいという感じではない。ただ、久しぶりに夜10kmばかし走ってみるとやはり充実感があった。

 

ラソンを走る芸能人にはお笑い芸人が多い。

元芸人の人が語るところによれば、お笑いは努力と結果が結びつかない。苦心の作が全く受けなかったり、適当にやったものがヒットしたりということがしょっちゅうある。真面目な人ほど努力が報われないことに苦しむのだという。

そうすると、「何とか努力が報われることがしたい」という衝動に駆られて筋トレやマラソンにのめり込むらしい。

今は練習時に履いているライトレーサー(今は変色してボロボロ)

岡田斗司夫YouTubeで「努力はしないよりした方が結果が良いこと」と定義していた。

よく「努力は報われるか?」と疑問に持つ人がいるが、本人が期待している結果となるとは限らない。ただし、努力しない自分より努力した自分の方が結果良いだろうというわけだ。

先のお笑いの話でいくと、苦心の作が報われないとなると「やはり無駄な努力なのか」という具合になってしまう。これは結構辛いだろう。

日常や仕事でも、苦心の作が報われないことは多々ある。今私がやっている仕事も、わりと「苦心の作」なのだが、下手をするとお蔵入りになりそうなので、そこがストレスになっている。

とかくに人の世は住みにくい。(夏目漱石草枕』)

 

それでいくとランニングは努力が素直に認められる。

自分の身体が努力の証明なのだ。それこそがマラソンの魅力なのだろう。