クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

偏差値に弱い父たち

年始、実家に帰ってからは両親が撮りためていたEテレの番組なんかを見て過ごした。正月番組の騒々しさがなくていい。

見たのは教養番組が多いので解説に大学の教授なんかが出てくる。そうすると父親はすぐにスマートフォンの音声検索で「○○大学、偏差値」なんて訊いたりしていた。

偏差値に弱いのは団塊末期にあたる父の世代の特徴だろうか。

服部文祥『サバイバル家族』が文庫本で出たので、買って読み直してみると、服部家父も「サバイバル登山家」を名乗るわりに偏差値に弱い。

我が父は団塊末期で服部文祥さんは団塊ジュニア。いずれも人数の多い世代だ。

少子化の昨今と違って、これらの世代間ではなく世代内競争が激しい。受験も就職も買い手市場だから、大人数の中に埋没しないためには相対順位、すなわち偏差値を上げる必要がある。

私はそんな親の元に育っているから多少負けず嫌いにはできている。しかし、相対的に優れていたいとは思うものの、適正な偏差値がどれくらいかはわからない。

「ナンバーワンとオンリーワンのどちらがいい?」と訊かれれば、「ナンバーワンがいいけど、無理ならオンリーワンがいい」というぐらいだ。

 

民主党事業仕分けの際に「1番じゃなきゃいけないですか?」という言葉が流行った。

あれ自体はあまり意義のある議論ではなかったように思えるのだが、相対的に比較されるものであれば1番を目指す方がいい。それに全員が1番を目指す中で順位が決まっていくのだから、最初から2番を狙うなんていうことは不可能だ。

ただ、それはあくまで相対的に比較できる指標があって成立するもの。

偏差値の高さを求めにくくなっているのは、「こうなったら幸せ」という実像が見えにくくなっているからなのだろう。