クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

自然界とビジネス界のサバイバル~服部文祥と大前研一の本を読む

ここのところ読んだ本、もしくは読んでいる途中の本。

大前研一『考える技術』、『大前流心理経済学 貯めるな使え!』、『「国家の衰退」からいかに脱するか。』

服部文祥『サバイバル家族』、『岳人2月号-特集 服部文祥』、『狩猟サバイバル』

特定の筆者ばかり読む傾向にあるのだが、ジャンルが全然異なる。

片やビジネス、片や自然。両者に共通しているのは厳しい環境で「生き残る」ということだ。

 

生きるって難しいなとしみじみ思う。今さら何かという感じもあるけど。

雨に凍え、滑落の危険にヒリヒリするサバイバル登山家。暖衣飽食でも経営危機に四苦八苦する経営者。

みんな必死なのだ。

 

「第二次ベビーブームの真ん中に生まれて、生きるということに関しては、なにひとつ足りないものもなく育ってきた。じつはこれが私たちの世代共通の漠然として重大な悩みなのである」(服部文祥『狩猟サバイバル』)

今の日本の子どもは「死」から距離を置いて生きている。死は老人に訪れるものに決まっているし、死にそうなくらい腹が減ることもない。

太宰治が、食わなければ死ぬというのは奇妙な脅迫であるということを『人間失格』に書いていたが、戦後生まれの日本人というのは多かれ少なかれそうなのかもしれない。

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それでいくと、大前研一さんはビジネスの中だけにサバイバル要素をリアルに想像できるのではないかと思ったりする。

とんでもなく頭のいい人なのだろうが、受験失敗、原子力研究者、経営コンサルタント。人生のフルリセットを繰り返しながら、やりたいことを貫いている。

やりたいことを貫くのは、眼前に迫っていなくても、「死」が近づいている、人生が有限であることを常に意識しているに違いない。

 

どちらが正解というわけではない。しかし、どちらも必死ではある。そう必ず死ぬのだ。

問題はどちらの人生の方が「生きている」と感じられるかどうかかもしれない。