クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

走ることについて-序

大学受験浪人が終わった次の日、走ろうと思った。特に理由はない。数年を受験勉強に費やしやることが思いつかなかっただけだ。

それから断続的に10年以上走り続けている。

 

なぜ走るか。聞かれても大した理由はない。

登山のスタミナ維持、体力増強、単に健康のため。実はだんだん不明確になるのに、それでいて前より熱心に続けている不可思議な活動だ。

最初は鈍った身体を引き締めるためだったが、目的を達成してもなお続けている。おそらく、走ることで今まで見ることのなかった景色が目の前に現れる魅力に取り憑かれたものと思われる。

浪人時代は、どこかで人生を足踏みしている感覚が拭えなかった。同級生は輝かしい大学生という身分を手に入れている。私は大学入学を確定させたその日から再び前に動き始めたい衝動に駆られていた。

 

最初に走った長距離は、実家から8キロ離れた磐船神社だった。往復16キロになる。

走ってみると意外と完走できた。フルマラソンとまでいかなくてもその三分の一は走れるのだ。マラトンの戦場を離れた1人の兵士はアテネの市民に自国の勝利を告げ、次の瞬間には息絶えた。生きながらえる自分には16キロくらいが健康維持にはちょうどいいのかもしれない。

 

特に何の目的も主義も哲学もない19の春だった。