クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

走ることについて-2

競技として以外で走ることについて言葉にして語っている人は珍しい。何かの文章で日本人はテニスをしても、相手を打ち負かすことに熱中してしまい、球を打つ楽しみを持たないと読んだ。全ての日本人にあてはまるわけではないが、スポーツと称する以上は目的がないと熱心にできない人が多いのも事実だ。

競技ランナー以外で走ることを文章にしているのは村上春樹さんくらいで、『走ることについて語るときに僕の語ること』という長いタイトルの本になっている。登山についてはエクストリームな人以外も随分語る人が多い。走る人で語る人がこれほど少ないのが意外だった。

考えてみれば、走るということを最終目的にしている人は少ない。私にしてもそうだ。体力強化が発端であり、その後は登山の基礎トレーニングとしての位置づけである。大会を目的にしている人は多いが、トップ選手でもなければ語ることは少ない。いやなくはないが、大会会場に行くと、自分よりはるかに速いランナーがごまんといて、語るのもおこがましい気持ちになるに違いない。しかし、私はその愚かを承知でこの文を書いている。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

休日にランニングをしていると話すと、「理解できない」という反応が返ってくることがある。ただ肉体を鍛錬する求道者というイメージなのかもしれない。飽きないかということも聞かれる。

走っていることが楽しくて仕方ないというわけではない。暑い日は疲れるし、坂道は辛い。なぜ走っているのだろうと思わないことはない。いつも走りながら走る意味を考えている。

 

国語の教科書にも採用される、太宰治走れメロス』は殺されるために走るということを主題にしている。これは友人を救うためという点で走ることを下支えしているが、ヴィクトール・フランクル『夜と霧』に登場する「テヘランの死神」の逸話では、ある男が死神から逃れるために走り、その先に死神が待っている。マラトンから走った兵士がアテネで息絶えたように、走った先に「死」が迎えるという物語が多いような気がするのは気のせいだろうか。

「走る」という行為は健常者なら誰でも行うが、物語の中で走るのは主に異常事態である。健脚の異名である「韋駄天」も仏舎利を奪われるという異常事態に直面して走ったに過ぎない。

普段から走り回っている現代人は健康に見えてどこかに異常な因子を抱えているのだろうか。

 

大学入学前に走り始めた私が再び走ることに興味を持ち始めたのは二十代半ばになってからである。

会社の先輩から誘われて初めてマラソン大会に出た。マラソンと言っても最初は10kmだ。確か最初の大会は55分、2回目は47分だった。10kmなら完走は当たり前。タイムが出ると次第に練習にも熱を帯びることになった。

帰宅後、着替えて毎日5km走った。同じコースを走ると次第に身体が慣れ、速くなっていく。もともと太ってはいないが、体重は60kgを割り込むようになった。

この頃、仕事がつまらなくなっていた。日中の大半を費やす仕事がつまらないのではすなわち人生の不幸だ。私の思考は負のスパイラルに入っていた。はたから見れば健康的だが、精神の不健康に対してバランスを取るために身体をいじめていただけだ。当時の私は誰に打ち勝とうとしていたのだろう。

 

10kmを2回経験した後、初めてハーフマラソンに出た。三浦半島の海岸、城ヶ島周辺を廻る大会だ。関東近辺ということもあり、首都圏のランナーが集まる大きな大会だった。

号砲が鳴り、すぐにコースは三浦霊園という墓地に入っていった。墓地は丘を切り開いて作られており、長い坂道を登ることになる。

終盤を考えればここで体力を温存しなければならないのかもしれない。しかし、周りの雰囲気に飲まれた私は自分のペースがわからぬまま前にいる人をひたすら抜くことに執着していた。

コースは城ヶ島で折り返し、三浦海岸のゴールを目指す。折り返して城ヶ島にかかる橋に上がった時、自分がオーバーペースで来たことを知った。コース終盤の海岸は起伏が激しく、序盤の疲れが預けていた荷物のように返ってくる。陳腐な表現だが身体が言うことを聞かない。

身体の次は靄がかかるように思考が働かなくなる。なぜ走っているのかわからかなくなり、とにかく止まらないことだけしかできない。

「歩くな!歩くな!」

自分自身にこれだけ言い聞かせる。たかがハーフマラソンだ。完走したって誰が褒めるわけでも、収入が増えるわけでも、世界が少し良くなるわけでもない。それでも最後まで走ることだけを目的に動き続ける。この瞬間、大袈裟ではなく私は走るためだけに生きていた。

 

マラトンの使者もアテネで自分が死ぬなどこれっぽっちも考えなかったに違いない。そしてアテネの市民に勝利を告げるなど走るきっかけであって走る目的ではなくなっていたのではないだろうか。

きっとメロスも実在したなら、走る先に死があるなどもはや走る自分とは関係はないことに思えたに違いない。

永遠とも思えた海岸の坂を最後に下るとゴールがあった。ゴールしてタイムを見たがそれがどれほどの意味を持つのかわからなかった。