テレビを買ったのでDVDの「エヴェレスト」を見直そうかと考えている。同時にJon Krakauer"INTO THIN AIR"も再度最初から読み直している。1996年の大量遭難がテーマで、世界一に挑戦した公募隊の悲劇を描いている。
1996年という年は日本の山岳界においてもなかなか意義深い出来事が多い。
この本、映画で登場する難波康子さんが日本人女性としてエヴェレスト第二登を果たすが下山できず(第一登は田部井淳子さん)。同じ頃、後に8000峰14座登頂を果たす竹内洋岳さんがチベット側からエヴェレスト登頂。山野井泰史さんが世界最難課題とされたマカルー西壁にソロで挑戦し、敗退している。
商業公募登山とソロクライマーのアルパインクライミングが同じ時期に行われたというのは象徴的である。
エヴェレストは1952年、エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによって初登頂されている。それから26年後の1978年にラインホルト・メスナーが無酸素でエヴェレストに登頂。同じ年にはナンガ・パルバットへのバリエーションルートからの登頂を成し遂げている。
つまり大量遭難の起きた1996年、エヴェレストは一線級のアスリートではなく、平均的な体力の持ち主でも登れる山となっていた。
登山計画やルートはマニュアルとして確立され、高度順化の日、レストの日、サミットプッシュの日が厳密に設定され、登頂者はタスクをこなすことで比較的安全に世界一の頂に立つことができるようになっていた。
一方で本当の一流クライマーはエヴェレストを避け、より困難な「それぞれの」山を目指すようになった。
唐突だが、エヴェレスト登頂は大学入試の傾向に似ている気がする。
比べるのはややナンセンスだが、少なくてもエヴェレスト登頂と東大合格に世間的な見られ方はよく似ている。超人とか天才とならなくても「すごい人」である。
1952年当時は他で実績を積んだクライマーの晴れの舞台だったエヴェレストが、徐々に一般人の憧れになり、人生に対する何かしらの渇望を満たす場所に変わっていった。大学入試も、ある意味で人生で何も手にしていない若者たちを半ば強制的に試す場所である。
大学入試で失敗して死ぬことはないものの、エヴェレストのように自己意思でない(ことが多いような気がする)という意味では十代の若者にとって過酷であることに変わりはない。
エヴェレストの過酷な環境は自然の生み出したものである。それに対して、いわゆる「お受験」は人生の理不尽な困難を人為的に生み出したものと言えるかもしれない。