クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

そうなんです

8月の終わりに久しぶりに沢登りをした。沢登りと言っても遡行が無理となれば林道や登山道に逃げるという最初から逃げ腰なもので、早く言ってしまえば水遊びに出かけただけだ。それでも沢では自分の行くルートを自分で決めるので、登山道だけの登山より緊張度合いが高くて久々によかった。「あそこは深そうだ」、「あそこなら石伝いに飛び越えられる」と目算を立てて歩き始めるが、時折予想より滑りやすかったり手がかりがなかったりしてわずかだが窮地に立つ。それも含めての沢登りだ。

 

飲み会などで「趣味は山登りです」と言うと、「危ない目に遭ったことある?」と聞かれることがある。特に雪山も登ると言ったときは必ず聞かれるが、ご希望に添える体験は今のところない。山では怪我も大抵が擦り傷、打ち身。立ち木にぶつけて頭が少々悪くなった程度だ。質問する方は、山と言う非日常の中で遭難くらいあってもいいのではないかということだが、やっている方はそう簡単に遭難できるものではない。プチ遭難くらいならあるが、あくまでプチで、道迷いとか少しのスリップくらい。それを聞くと「そうなの」くらいで会話が途絶えてしまい、答えたこちらがつまらない人みたいになってしまう。何を期待しているだと思うのだが、飲み会を盛り下げた責任を若干感じてこちらも反論できない。

「やばかったなぁ」と感じることあまりもなくはなく、3年前に丹沢の源次郎沢へ1人で行った。初級沢と言ってもロープなしのフリーソロの登攀はそれなりに緊張した。水量は少ない。上へ行くほどますます水は少なくなっていく。途中の少し開けたところで持参したおにぎりを食べ、涸れ沢をさらに登って最後の滝に着いた。もう水涸れていて、石と泥ばかりの滝である。水のない滝の落ち口には沢用語でチョックストーンと呼ばれる岩が挟まっていた。他から登りようもなさそうなので、その石の壁に挑んだが、例のチョックストーンのところで行き詰まった。滝を登りきる最後のところで岩が邪魔をして登りきれない。ロープもないので下降は登攀より厄介だ。私は左手を行く手を遮る岩と滝の落ち口の岩の間に掌を入れ、右手の指をわずかにかかる出っ張りにかけて身体を持ち上げた。右足をチョックストーンの上に乗り上げるつもりだったが、泥のついた沢足袋に乾いて突起のない岩はいかにも滑りそうだ。滑ると両手だけで身体を支えきれるだろうか。一瞬、自分が数メートル下に身体をたたきつけられる姿が彷彿として、持ち上げた身体を元に戻した。もう一度左手を岩に突っ込みなおす。そして意を決して右足を上げ、膝も足先も全部動員してチョックストーンの上に乗り上げた。左手を岩から外すと、強く押し込み過ぎたせいか、手の甲も掌も赤く痣になっていた。

これが私の最も遭難に近づいた瞬間だが、飲み会の肴としては面白くもなんともない。最後に足を滑らせれば飲み会では滑らないが、そうなったら飲み会そのものに来れなかったかもしれない。ノンフィクション作家の角幡唯介さんが冒険や探検ノンフィクションは遭難でもしなければ面白くないと書いていたが確かにその通りだ。

 

登山をしない人にとっては雪山は怖いところらしい。確かに自分が登らないうちは、滑落・雪崩などのイメージがつきまとって自殺行為のように思えた。漫画『岳』なんかを読むとますます山が怖くなる。作者はクライマーらしいので、ある程度起こりうる事象を描写しているが、毎回毎回惨事が起きるので山が人を喰う怪物のように思えてきて、街の描写に入るとやけにほっとしたりする。そして雪山なんて行かなきゃいいのにと思ってしまう。

そんなことを思いつつも早朝のひやりとした風を頬に感じる季節となると純白に黒い筋を引いた峰々を想ってのこのこ家を這い出すのは、冒険家の業などではなく単に学習能力のなさである。単に美しい景色や楽しかった思い出に記憶が塗りつぶされているだけで、いつの間にやら怖さを忘れている。

 

2年前の前穂高岳では怖い思いをした。

ちょうどクリスマスの時期で、24日に西穂山荘に宿泊し、翌朝に西穂高岳まで往復するという計画だった。西穂山荘を出発した登山者のうち、雪山初心者は小屋から30分ほどの丸山で引き返す。中級者は西穂高岳独標で引き返す。上級者はさらに先の西穂高岳本峰まで行き、超上級者は西穂高岳から奥穂高岳へ縦走するがこのクラスはほとんどいない。超上級者から見ればお尻ペンペンのレベルだが、私はカモシカスポーツのアウトレットで1万円しなかったピッケルを手に西穂高岳本峰を目指した。

小屋を日の出前の4時半くらいに出たが西穂高岳は遠い。丸山、西穂高岳独標、ピラミッドピーク。登り下りを繰り返していい加減うんざりしたころに西穂高岳本峰が現れた。最後の50mほどの登りだけは気味が悪い。急斜面に雪が載っており、十分にアイゼンの先を蹴りこんだつもりでも足元の雪がぼろりと崩れる。体重を乗せていいかは感覚で知るしかない。少し苛立ちながらそこを登りきるとすじ雲で掃いた青空の下に前穂高岳がでんと座っていて、そこが西穂高岳本峰だった。

頂上では少しの間写真を撮ったりしたが、寒いのですぐに下山を開始した。沢登りの時もそうだったが、登るより下る方が難しい。先程登ったぐずぐずの斜面を下らなくてはならない。面倒だが斜面に顔を向けて後ろ向きにクライムダウンする。ここで横着をすると痛い目に遭う。

慎重に下りて行ったが、あと数メートルで急斜面が終わるというところで魔が差した。前に向き直って最後を下ろうとしたのだ。後ろから来た1人が普通に前向きで下りていたというのがあるだろう。もう大丈夫という油断があった。

「あっ!」と何気なく着いた右足の下で雪がぽろりと崩れた。尻もちをつき、そのまま滑り始めた。「やばいっ!」と感じ、やみくもに足を雪面に押し付けた。止まった。

滑ったのは2mもなかった。そのまま滑ったら大怪我だっただろうか。それとも死んでいただろうか。はたまた無傷だっただろうか。とにかく油断が原因だ。私は立ち上がると再び斜面を前にして後ろ向きに下りて行った。

ところがこの日、怖い体験はこれだけではなかった。小滑落からわずか数分後、後ろから「あっ!」という声が聞こえた。見ると登山者がうつ伏せで滑っている。ちょうど私が滑った場所と同じところから落ちたようだ。男女の区別もつかなかったが、滑落者が20mくらい滑ったところで少し斜面が緩やかになり、止まりそうだった。私は「止まれ!」と念を送ったのだが、一度付いた勢いは私の想像以上に強いらしくそのまま止まることなく広い斜面の真ん中を下へ下へと滑り落ちて行って見えなくなった。私は少し岩が邪魔になるところから目撃していたが、真上から見ていた人が素早く電話でレスキューを呼んでいるようだった。少しすると滑落した人は起き上がって私から見える位置まで動いていた。動いていることを確認すると、万が一携帯が通じかなかったことを考えて私は小屋へ急いだ。西穂山荘でスタッフに着いてスタッフに訊くとすでにレスキューが呼ばれたそうだ。

f:id:yachanman:20180907224929j:plain

 

思うに生命の危険は万人に共通した話題になるが、山の危険は登山者特有のものだ。つまり真に迫った危険でなければ飲み会の肴なんぞにはならない。しかも、男女混合の合コン的な飲み会ではただ無闇に生命を危険に晒す不届き者に間違いなくなるので注意が必要だ。

だったら山をやめんかい?やめるくらいなら始めない知恵があるというものだがね。